347『第83話 日常35 立光会』

 普段人の寄り付かない公衆トイレで、不良然とした格好の高校生の胸倉を、白いジャージ姿の男が捻り上げていた。

「町田ぁ。お前。いつから俺にそんな口を利けるようになった?」

 町田と呼ばれた高校生は、千切れて転がった学ランのボタンに目をやったあと、「寺岡さん。俺ら、あんたの世話になってた覚えはないスよ」と言った。

「ああ?」

 ガタイの良い坊主頭の寺岡というジャージの男は、町田の足が浮くほど強い力で胸元を掴んだ。

 その二人のすぐそばで座り込んでいるもう一人の学生が、睨みながら吐き捨てるように言った。

「あんた、立光会の組員だってフカしてっけど、まだ見習いだろ。使いっぱだろうが」

 鼻から血が流れ出て、それを手で押さえている。

「そんなペーペーの格好してよ」

 言われた寺岡は、座り込んでいる男を蹴った。

「がは」と言ってうめいた男は、それでもすぐに睨み返していた。

 寺岡と二人の学生は、地元の工業高校の先輩後輩だった。県内で最大勢力を誇る暴力団、立光会の準構成員となった寺岡が、3年生の二人を呼び出して、卒業後に立光会に入るよう勧誘している現場だ。

「昔は、寺岡さん。カッコよかったよ。憧れたよ。でも今のあんたにキョーセーはされたくねえよ」

 胸元を締めあげられた町田は、それでも両手を背中に回したまま、はっきりと言った。

「てめえらぁ」

 この寺岡という男は、小川冬馬の中学時代の同級生だった。

 当時から不良をしていた寺岡が、生意気なやつを締めていたところ、その友人だという冬馬が止めに入ったことがあった。

 いっしょにボコってやろうとしたら、思いのほか抵抗され、周囲に止められた。あとでもう一度冬馬を校舎裏に呼び出して、締めようとしたら、激闘の末、引き分けになってしまった。それ以来、寺岡は冬馬に一目を置き、なにかとちょっかいをかけるようになった。

 寺岡は孤児だった身の上も話した。すると、冬馬も養子だという話をした。腹を割って語り合えるようになるまで、時間はかからなかった。そのころ冬馬はよく顔を腫らして登校してくることがあった。寺岡が理由を訊くと、離れて暮らしている実の父親に呼び出されて、空手の稽古をつけられているのだと語った。

 寺岡は、「そのくそオヤジ、俺も一緒にやってやるから、ぶっとばそうぜ」と主張した。冬馬は、「二人でも勝てないよ」と笑った。

 中学を卒業してからは、進学校に上がった冬馬に遠慮して、寺岡は連絡を取らなかった。そして工業高校でも本格的に不良を続け、ついに暴力団に入るに至ったのだった。

「あれ? なにしてんの?」

 突然、男子トイレに若い男が入って来た。町田たちと同じ工業高校の学生服を着ている。

「あ、三輪くん」

「聡太くん」

 シメられていた二人が同時に言った。

(三輪聡太?)

 寺岡は、そんな名前の後輩のことを思い出そうとしたが、浮かばなかった。改めて見ると、小柄でひょろそうな見た目の男だった。眼鏡をかけている。学生服もまったく改造していない。

(マジ坊かこいつ)

 荒れている高校では、激しい苛めの対象になるような男だ。寺岡の眼中になかったのも当然だった。しかし、今の3年ではトップに位置するはずの町田たちが、妙に親し気に呼んでいるのが気になった。

「使用中だ。消えろ」

 低い声で寺岡が言ったが、三輪は肩をすくめて近づいてきた。

「いやあ。彼らは僕の同級生なんですよ。なにがあったか知りませんけど、勘弁してあげてくれませんか」

「なんだこのガキ」

 寺岡は町田の服を離し、三輪に向きなおった。さらに近づいてくる三輪に、いきなりボディーブローを見舞った。

 しかし、三輪は身体を捻ってその右拳をかわし、両手で抱え込んだ。

「なにするんですか。暴力はやめましょう」

「ふざけr」

 腕を振り払おうとした寺岡の鼻っ面に衝撃が走った。血の匂いが弾ける。

 頭突きだ。頭突きをされた。

 のけぞりながらそう気づいた時には、もう三輪のにこやかな笑顔が迫っていた。

 腹に衝撃。パンチ。だが、異常な重さ。

(こいつ、なにか握り込んでる)

 身体を丸めかけた寺岡の足を、三輪が巧みに払った。そのまま床に転がされる。

 気が付いた時にはもう馬乗りの体勢になっていた。

「うちの生徒を、落ち目の立光会なんかに誘うのはやめてくださーい」

 三輪は含み笑いをしながら拳を振り上げた。




 広い駐車場には黒塗りの車が鈴なりだった。ジャリジャリという音を立てて、次々に高級車が敷地に入ってくる。停まっている車のそばには、黒いスーツの男たちが両手を背中に回した姿勢で立っていて、周囲を歩く人に向かって、「お疲れさまです」と頭を下げ続けている。

 人々は、背の高い壁に囲まれた建物に吸い込まれていく。その玄関から、逆に出てきた二人がいる。

 ジャンパーを羽織った二人に、周りの人間が睨みを入れる。その不審げな視線を意に介さず、前を歩く男はヘラヘラと笑いながら手を挙げて返した。

「沢崎さん」

「あん」

「もういいんすか」

 ここはO県を牛耳る暴力団、立光会の本部だった。県下各地から組幹部が集ってくる、月に一度の定例会が開かれる日だった。

「ああ。例会が始まる前に退散だ。おい、夏目よ。今日会ったのが、執行部の面々だ。ツラ覚えたな」

 夏目、と呼ばれた若い男は県警本部の刑事だった。今年の春に刑事部の暴力団担当である捜査第四課に配属されたばかりだ。

「ッス」

 筋肉質で大柄な夏目に対し、沢崎という年配の刑事は痩せぎすだった。眼光は鋭く、笑みを浮かべながらも油断なく周囲を警戒している。二人はどちらも短髪で刈り上げている。暴力にかかわる雰囲気を漂わせている、という点では、二人も周りにいる暴力団員たちと大差がなかった。

 新人の顔つなぎに、係長である沢崎が立光会本部へ連れてきたのだったが、夏目は終始緊張して額に大粒の汗を浮かばせていた。

 駐車場の一番端に停めていた車に向かって歩く間、夏目は複雑な表情をしていた。

「会長のそばにいた付き人の若い衆ですけど」

「あの、顔腫らしたジャージの兄ちゃんか。なんかヘマしてヤキ入れられたんだろうな」

「あれ、寺岡っていって、俺が少年課にいた時に何度も補導したやつなんですよ。……俺が言うのもなんですけど、根はいいやつなんです。家庭の事情でグレてたんですけど、性根は腐ってない、立ち直れるやつだと思ってたんス。でも今日、久しぶりにツラ見て、ああ、結局こういう道に入っちまったんだなって」

「ふん。よくある話だ」

 二人は車に乗りこんだ。もちろん目立つパトカーではなく、普通の乗用車だ。

「おほ。うまそうなモナカだ」

 助手席に収まるやいなや、沢崎は下げていた紙袋から取り出した菓子の箱を開けた。

「ちょっ。沢崎さん。それ部長にって、会長から預かったやつ……」

「いーんだよ」

 沢崎は袋から出してモナカを頬張りはじめた。

「もぐもぐ。いいか、夏目ぇ。俺ら四課と、立光会は持ちつ持たれつの関係だ。やつらがいねえと、俺らもいられねえ。それはわかるな?」

「だから今日挨拶に来たんでしょう」

「ところが、四課以外の連中はそうでもねえ。むしろ敵だ。てめえが卒配されるずっと前に、ヤクザ同士の喧嘩で殺人があった。イケイケだった当時の捜査一課長が、俺らがワッパかけたやつを突っ返して、本当の実行犯だった立光会の二次団体の舎弟頭をアゲたんだ」

「それは……」

「被害者側も、加害者側も納得してたんだ。そういうもんなんだよ、この世界は。それをひっくり返しやがった。俺ら四課のメンツも潰された。それからもうメチャクチャだ。立光会と刑事部の関係は冷え切っちまった。捜査に必要な情報があがってこねえ。執行部から、県警に協力すんなって通達まで出たからな。その隙間風につけこんできたのが西から来たあいつらだ」

「菱川組……」

「お、夏目もちょっとは勉強してんのか」

 一つ目を食べ終えた沢崎は、次のモナカに手を伸ばした。

「協力関係にある四課と立光会に対して、四課以外と菱川組。その対立軸があるわけだ。で、今の刑事部長のマルちゃんは、どこの出身だ」

「丸山刑事部長は、一課っス」

「そういうこと。だからこれは、処分する。ほら、おまえも食え」

 夏目は差し出されたモナカを、ごくりと唾を飲んでから、慎重に受け取った。




 立光会の会長、石田和雄が入ってきた時、会議室に集まっていた幹部たちが一斉に立ち上がった。会長は還暦を越えた、恰幅のいい男で、着慣れた和服姿には気品があった。

「ご苦労さん」

 会長が幹部たちを労いながら席に着くと、定例会が始まった。

 収支報告が続いていたところで、会長がふいに口を開いた。

「裏DVDのシノギは、先月からまた下がってるんじゃないのか」

「あ、……はい」

 担当の若い幹部は真っ青になり、全員が見ている前で厳しい叱責を受けた。今の会長は、上納金についても厳しく、幹部は金をかき集めるのに皆汲汲としていた。

 収支報告が終わったころ、裏DVDで叱責を受けたばかりの幹部が、決死の表情で立ち上がった。

「会長。ご指導いただいた裏DVDのシノギの件ですが」

「おい!」

 周囲の幹部が慌てて止めようとした。このような場で、親である会長に口答えするなど、あってはならないことだったからだ。

 会長は、すぐ隣に座っている若頭の能代巧(のしろ たくみ)をじろりと睨んだ。その若い幹部は、能代の出身母体である大成会(たいせいかい)の人間だったからだ。

 能代は、澄ました顔で頷いてみせた。若頭がケツを持つという意思表示をしたため、会長は椅子に深く腰掛け直し、「なんだ」と聞く姿勢を見せた。

「裏DVDのシノギに、最近和倉会が入ってきています」

「和倉会だぁ?」

 会長は露骨に不快な表情を浮かべた。

「確かなのか」

「はい」

 会長が若い幹部を睨みつけていると、後ろの方の席にいた別の幹部が立ち上がった。

「会長。他でも和倉会にシマを荒らされています」

「勝手にしゃべるな!」

 会長の並びに座っている禿頭の本部長が怒鳴りつけたが、他の人間も次々に立ち上がり、「会長」「会長!」と言いつのった。

 その雰囲気に押されて鼻白んだ会長は、助けを求めるように若頭の能代を見た。能代は白いものが混じっている刈り上げ頭の男で、色黒のがっしりした体格をしている。

 能代は会長に向きなおり、落ち着いた口調で言った。

「オヤジ。和倉会の件は自分の耳にも入ってます。盃の件が棚上げになっていることも含めて、若い衆から不満が上がってきているのは事実です」

「なんだと!」

 興奮しかけた会長に、能代はゆったりと語りかけた。

「一度、和倉会の高坂会長と話してくれませんか」

 子である若頭から突き上げをくらった形の会長は、それでも威厳を保とうと頬をヒクつかせながら、返答した。

「高坂とは話はできておる。なにももめごとはない。やつと、死んだ松浦の兄弟盃の見届け人はワシだ。子の兄弟は、ワシの子も同じだ。今さら盃もなにもねえ。シマの件もただの行き違いだ。能代。てめえがしっかり下を管理しねえからだ」

 そうやって会長がまくし立てるのを、能代は黙って聞いていた。

 そして能代は、その騒ぎのなか、静かに目を閉じていた最前席の男をちらりと見た。若頭補佐の石田信明だ。

 石田は石田会長の娘婿で、中核団体であり会長の出身母体である石田組の組長だった。まだ37歳という若輩にもかかわらず、会長、若頭、本部長、会長補佐に次ぐ、序列5位の実力者だ。

 石田会長よりも年長の本部長、名誉職に近い会長補佐が実質脱落している次期会長争いの主役は、この能代と石田だった。

 順当にいけば、51歳の若頭、能代が跡目を継ぐのが筋のはずだったが、若頭補佐の石田は会長の娘婿の立場を利用して異例の出世を果たしている。この二人は、まさに角逐火花を散らす間柄だった。

「静かにしろ。てめえら座れ」

 本部長が怒鳴る異様な雰囲気のさなか、能代と石田はわずかな視線を交えて、目に見えない刃を切り結ばせていた。




 不穏な雰囲気のまま終わった定例会の後、若頭補佐の石田は、乗って来た車の後部座席に沈み込んだ。

「やれやれ。面倒なことになってるな」

 隣に座る男がそれに頭を下げて、石田のコートを預かった。顔に傷のある、小柄な男だった。

「おい清水。おまえ、寺岡をシメたのか?」

 清水と呼ばれたその男はゆっくりと頷いた。その様子を観察していた石田は、くくく、と笑った。

 会長の付き人の寺岡が顔を腫らして現れたのは、同じ所属の石田組の先輩である清水が、寺岡の生意気な態度に腹を立ててシメたからだ、ということになっていた。

 実際は市中の喧嘩で怪我をしたのだが、ヤクザには面子がある。先輩である清水が庇ってやった、というのが真相だった。それを見抜いた石田は、何も言わず笑っていた。

「それはそうと清水。ハルがまた抜け出したらしいな」

「は。申し訳ありません」

「和倉会のあの賭場に行ってたって本当か?」

「面目ありません」

 はあ、と石田はため息をついた。ハルとは立光会会長の石田和雄の養女、石田千晴のことだ。会長の娘婿である石田信明にとっては義理の妹にあたる。

 石田はため息をつきながら、横に座る清水の鼻先に裏拳を入れた。

 バチンという音がして、清水の鼻から血が流れ出した。血が車のシートにつかないように、清水はすぐにハンカチでそれを押さえた。

 しばらくして、清水はハンカチを当てたまま、くぐもった声を出した。

「オヤジ。お嬢も年ごろになって、着替えの時とか、自分たちではどうしても監視しきれません」

「そうか……」

 子分の言い訳に、石田は思案気な顔をした。落とし前は今の裏拳で済んでいる。清水が口にしたのは必要な提言だ。石田はそれを受け入れる合理的な男だった。

 ハルは、立光会と不穏な関係にある渦中の和倉会の会長、高坂万章(ばんしょう)、そしてその子どもたちと昔から交流があった。しかし現在の状況では、それを許すわけにいかず、接近禁止令を出していた。当のハルはそんなものものともせず、監視の目を出し抜いて奔放に動き回っていたにだった。

「よし。ハルにはしばらくの間、梅(メイ)を。俺の女を付ける。お前らはメイの指示に従え」

「姜(ジャン)さんを……。わかりました」

「恐らく、ここ1年がヤマだ。嵐が来るぞ」

 石田は柔らかい座席に深く沈み込み、目を閉じた。

 若頭の能代との跡目争いも激しくなってくるが、かつて激しく争った菱川組のO市再進出問題。そして、その先鞭となっている疑いのある和倉会との抗争は、もう始まっていると言ってもいい状況だった。まさに嵐の前夜だった。

 石田はチラリと自分の片袖を見た。石田は隻腕だった。かつてある事件で失ったのだ。

(今度はどこを無くすかな。足か、首か。……それでも俺は死なんぞ)

 ぽつりとつぶやいたその声は、冷たく乾いていた。

この記事へのコメント
かつて夏雄が通っていた空手道場を狙う地下格闘の現チャンプ・零
そして冬馬の旧友のヤクザをタコ殴りにした地下格闘選手・三輪聡太
オカルトとは関係ない方面でも、冬馬と和倉会の因縁ができたな

そういえば地下格闘を仕切ってる静郎さんが
「最近はなかなか勇気ある新人が見つからなくて、県外まで探しに行かないといけない」
とボヤいてましたね…
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月26日 00:10
今回は色々重要な布石が見える話だね
プロローグで名前だけ出てたメイの登場予告
中学時代冬馬と互角だった寺岡より強い三輪聡太の実力
かつての歯抜け茶髪の再登場

あと、師匠シリーズで不意打ちの裏拳が決まったの初めてだったと思う(加奈子→二岡失敗、小熊→冬馬失敗)
組長の裏拳を部下がガードしたらそれはそれでアレだが
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月26日 01:13
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