『写真屋に行く』
そう聞いていたのに、やってきたのは古びたマンションの前だった。
「ここが?」
冬馬が訊ねると、部長は頷いた。
「裏社会で『写真屋』と呼ばれている男がいるの」
「裏社会って……」
絶句する冬馬に目くばせして、部長は入り口のそばの階段を登り始めた。
「元々は、非合法な写真を現像することを生業にしていた人物よ。犯罪に関わる写真や、変態的な趣味の写真をね。彼はプロで、口が堅いからそれなりに顧客がついていてやっていけてたみたい。でも今ではデジタルカメラの時代だからね。誰でも個人でプリントアウトできてしまうから。彼のような人間の役割は終わってしまったのね」
「なるほど。街の写真屋も減りましたしね」
「裏の写真屋としての仕事のかたわら、彼はパソコン通信の時代からネットワーク技術にのめり込んでいたの。今ではそちらが本職よ」
「システムエンジニアってことですか」
冬馬の問いかけに、部長は首を振った。
「クラッカーよ」
「今でも裏社会の人間ってことですか」
「そう。それでつけられたクラッカーとしての異名が、『写真屋』」
マンションの3階にある部屋の前に立つと、『天野』という表札があった。
部長がチャイムを鳴らすと、天井付近についていた小さなカメラが動いた。こちらを観察するように、首をゆっくりと上下に振っている。
やがてゴツン、という音がしてドアが揺れ、それからノブが動いた。
ドアから顔を出したのは、青白い肌の痩せた男だった。眼鏡をかけているが、ボサボサの長い髪がレンズにかかり、その奥からショボショボとした目が覗いている。
「お久しぶりです天野さん」と部長がいつもよりかわいらしい声であいさつをした。
「あ、ああ。待ってたよ」
天野は隣の冬馬をジロリと見た。
「どうも。小川です」
軽く頭を下げた冬馬に、天野は鼻を鳴らし、「き、君か。噂の新人は」と、こもる声で言った。
「まあ、とにかく、は、入ってくれ」
天野は、頭を掻くと、二人を室内に招いた。
散らかった部屋だった。いたるところに中身の詰まったゴミ袋が散乱してる。
「ちょ、ちょっと待ってて」
天野は思い出したように二人を廊下で待たせ、居間でごそごそとなにかを片づけはじめた。
「なんの用で来たんですか、今日は」
冬馬が小声で訊くと、部長は、「ホワイトハッカーを頼みに来たの」と答えた。
「あ。どうぞ。その辺に座って」
フローリングの室内は家具や、洗濯物らしき束、プラモデルの箱などが所狭しと散らばっている。それらの中に座布団が埋まっているので、とりあえず座る気になれず、部長の隣で冬馬も立ったまま、写真屋の仕事スペースらしき一角を眺めた。
「すごいですね」
ワークステーションというのか。壁際に黒くて大きな機械がそびえている。そして2つ分がくっついたデスクには、モニターが3つと、ノートパソコンが2台置かれていて、そのほか、剥き出しのハードディスクがささった台や、卓上マイク、カメラなどがギュウギュウになって陳列されていた。
「さ、さっそくちょっと見てみたんだけどね」
写真屋は椅子に座ると、モニターの一つを二人に向けた。そこには、見慣れた丘陵研究会のホームページが映っている。そしてその横には、ソースコードが書かれたような黒い画面が並んでいた。
「た、たしかに侵入されてたね。でもバックドアとか、なにか仕掛けられた形跡はないよ」
「なにかあったんですか。うちのホームページに」
冬馬が訊ねると、部長は、「管理してくれてるあかりちゃんがね。ハッキングされたみたいって言うから」と言って、右頬に手をあてた。
「それで専門家に調べてもらおうと思って」
「ぎゃ、逆によく気づいたね。ほとんど痕跡を残してないよ、こいつ」
天野はモニターを見せながら「ほら、こことか」と、なにごとか説明をしてくれていたが、冬馬にはよくわからなかった。というか、そもそも興味がなかった。
「あれ? ていうか、もしかして」
天野は急に椅子に座り直すと、キーボードを引き寄せた。
「うわ。今入ってきてるよ」
「入ってきてるって、クラッカーが?」
部長の問いかけに、天野は小刻みに頷いた。そして別のモニターに、なんだかわからないパラメータだらけの画面を表示させ、もうひとつのキーボードで操作し始めた。
「ぼ、ボクに気づいたな。急にあ、荒っぽいことを仕掛けてきたよ」
突然の事態に、部長と冬馬は一歩あとずさって、成り行きを見守ることにした。専門家に任せるしかなかった。
天野はどこか楽しそうにキーボードを叩いている。そして、ゆったりした動きで水筒を取り出して、刺さったままのストローで飲み始めた。
「WEB SHELL攻撃だよ。DOLL CHOPPERかな」
のんきそうな口調でそう言うので、部長が、「大丈夫なんですか」と急かすように問いただすと、天野は笑った。
「ははは。ドラマやらアニメで、コンピュータウイルスとかクラッカーと対決するシーンじゃあ、カタカタカタカタ、す、凄い勢いでキーボード叩いてるけどね。な、なにをそんなに打つことあるのって。今コード書いてんのかよ、みたいな」
天野はそう言うと、USBメモリを一つ、ヒラヒラと見せびらかすように振ってからノートPCに差した。
「そ、備えがすべてだよ。あらゆる事態に対応する準備ができてるのが大事なんだ」
鼻歌をうたいながら、天野は優雅にキーボードを叩く。
「ははは。無駄無駄。それは無理だよ」
余裕のある様子に、部長と冬馬は顔を見合わせた。
「大丈夫そうですね」
「よかったわ」
「ていうか、ハッキングなんて、どこのだれが?」
「わからないわ」
「無理だってのに!」
急に天野の声が大きくなった。そして優雅だったキーボードを叩く手つきがだんだんと速くなってきた。
ガタガタガタガタ。
デスクに置いた水筒が落ちそうになって、思わず冬馬はそれをキャッチした。
「ちょっと。なにをそんなに打つことがあるの、って言ってませんでしたか」
「うるさいっ」
部長のツッコミに、振り向きもせず天野は怒鳴った。
「だ、大学サーバ側から逆に侵入かけられてるんだよ! クソみたいなファイアウォール使いやがって」
「え。それって大ごとじゃないですか」
丘陵研究会のホームページが利用している、大学サーバ側には侵入できてるってことなら、すでに大変な事態な気がする。
冬馬は急に悪化したらしい状況にも、見ていることしかできない歯がゆさを感じていた。
「私たちもなにか手伝ったほうがいいですか」
部長が提案すると、天野は、「歌って」と言った。
「ジュディ・ガーランドの『虹の彼方に』。ぼ、僕にはリラックスが必要なんだ。それから小川君。君は肩を揉んでくれ」
随分と勝手な要求だった。しかし、部長は、「わかりました」と言って居住まいをただした。そして歌い始めた。
「Somewhere over the rainbow~」
綺麗な歌声が室内に響いた。
冬馬も聴いたことのある歌だった。映画オズの魔法使いの劇中歌だ。
「way up high~ ぜ〜ざ〜あらん〜 ふううんん ふ〜んふふ〜ん ふ〜ふ〜ふ〜ふ〜ん」
途中から歌詞がむにゃむにゃとなった部長の歌を聴きながら、冬馬は天野の背中を見た。不健康な痩せ方をしている天野の肩は、揉む肉がほとんどないように見えた。仕方ないので、骨を折ってしまわないように繊細な力でトントンと肩を叩く。手のひら同士で空気を包むようにして、それをクッションがわりに手の甲で叩くやりかただ。
パシュパシュと手のひらの隙間から音が漏れるなか、天野は「お、いいね」と言って満足そうに頭を動かしている。
しばらくして、天野のキーボードを叩く手が止まった。
「勝った。勝ったぞ。ざまあみろおおお」
画面には右端まで到達した巨大なタスクバーが映っている。
「Why then,oh why cant I?」
なぜか最後は流暢だった部長の歌も、ちょうど終わった。
「は〜。どうなってるんだ。こ、こんなやつに狙われるなんて」
天野は疲れた声で椅子にもたれかかった。
「君たちのサークルのホームページなんてろくに情報もないし、あ、アクセスなんてほぼ皆無なんだから、乗っ取ったって意味ないだろうに」
「たしかにそうですよね。どこの誰なんスかね」
冬馬が首を傾げると、天野が振り返った。
「ゆ、唯一、チャットルームだけは盛況だ。そこの情報をピークしたり、改ざんしたいんじゃないの」
冬馬は部長と顔を見合わせた。
「で、でも、このレベルのクラッカーが狙うなんて、よほどのことだよ」
天野は不審そうな顔つきで言った。
「君たち。そ、そこで政府転覆の悪だくみの相談でも、し、してるんじゃないの」
「そんなことして……ないよね?」
不安そうな顔の部長に訊ねられ、冬馬もまた不安そうに、「ほとんどしてないと思います」と答えた。
346『第82話 日常34 天野』
posted by 巨匠
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この記事へのコメント
写真屋さん、なんでこんなに体型が変わったんだろうか
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月24日 21:43
メロンソーダ飲みすぎて糖尿病コースなのか・・・?
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月24日 22:13
豚が骨になってんのか
Posted by at 2026年02月02日 18:31
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