346『第82話 日常34 天野』

『写真屋に行く』

 そう聞いていたのに、やってきたのは古びたマンションの前だった。

「ここが?」

 冬馬が訊ねると、部長は頷いた。

「裏社会で『写真屋』と呼ばれている男がいるの」

「裏社会って……」

 絶句する冬馬に目くばせして、部長は入り口のそばの階段を登り始めた。

「元々は、非合法な写真を現像することを生業にしていた人物よ。犯罪に関わる写真や、変態的な趣味の写真をね。彼はプロで、口が堅いからそれなりに顧客がついていてやっていけてたみたい。でも今ではデジタルカメラの時代だからね。誰でも個人でプリントアウトできてしまうから。彼のような人間の役割は終わってしまったのね」

「なるほど。街の写真屋も減りましたしね」

「裏の写真屋としての仕事のかたわら、彼はパソコン通信の時代からネットワーク技術にのめり込んでいたの。今ではそちらが本職よ」

「システムエンジニアってことですか」

 冬馬の問いかけに、部長は首を振った。

「クラッカーよ」

「今でも裏社会の人間ってことですか」

「そう。それでつけられたクラッカーとしての異名が、『写真屋』」

 マンションの3階にある部屋の前に立つと、『天野』という表札があった。

 部長がチャイムを鳴らすと、天井付近についていた小さなカメラが動いた。こちらを観察するように、首をゆっくりと上下に振っている。

 やがてゴツン、という音がしてドアが揺れ、それからノブが動いた。

 ドアから顔を出したのは、青白い肌の痩せた男だった。眼鏡をかけているが、ボサボサの長い髪がレンズにかかり、その奥からショボショボとした目が覗いている。

「お久しぶりです天野さん」と部長がいつもよりかわいらしい声であいさつをした。

「あ、ああ。待ってたよ」

 天野は隣の冬馬をジロリと見た。

「どうも。小川です」

 軽く頭を下げた冬馬に、天野は鼻を鳴らし、「き、君か。噂の新人は」と、こもる声で言った。

「まあ、とにかく、は、入ってくれ」

 天野は、頭を掻くと、二人を室内に招いた。

 散らかった部屋だった。いたるところに中身の詰まったゴミ袋が散乱してる。

「ちょ、ちょっと待ってて」

 天野は思い出したように二人を廊下で待たせ、居間でごそごそとなにかを片づけはじめた。

「なんの用で来たんですか、今日は」

 冬馬が小声で訊くと、部長は、「ホワイトハッカーを頼みに来たの」と答えた。

「あ。どうぞ。その辺に座って」

 フローリングの室内は家具や、洗濯物らしき束、プラモデルの箱などが所狭しと散らばっている。それらの中に座布団が埋まっているので、とりあえず座る気になれず、部長の隣で冬馬も立ったまま、写真屋の仕事スペースらしき一角を眺めた。

「すごいですね」

 ワークステーションというのか。壁際に黒くて大きな機械がそびえている。そして2つ分がくっついたデスクには、モニターが3つと、ノートパソコンが2台置かれていて、そのほか、剥き出しのハードディスクがささった台や、卓上マイク、カメラなどがギュウギュウになって陳列されていた。

「さ、さっそくちょっと見てみたんだけどね」

 写真屋は椅子に座ると、モニターの一つを二人に向けた。そこには、見慣れた丘陵研究会のホームページが映っている。そしてその横には、ソースコードが書かれたような黒い画面が並んでいた。

「た、たしかに侵入されてたね。でもバックドアとか、なにか仕掛けられた形跡はないよ」

「なにかあったんですか。うちのホームページに」

 冬馬が訊ねると、部長は、「管理してくれてるあかりちゃんがね。ハッキングされたみたいって言うから」と言って、右頬に手をあてた。

「それで専門家に調べてもらおうと思って」

「ぎゃ、逆によく気づいたね。ほとんど痕跡を残してないよ、こいつ」

 天野はモニターを見せながら「ほら、こことか」と、なにごとか説明をしてくれていたが、冬馬にはよくわからなかった。というか、そもそも興味がなかった。

「あれ? ていうか、もしかして」

 天野は急に椅子に座り直すと、キーボードを引き寄せた。

「うわ。今入ってきてるよ」

「入ってきてるって、クラッカーが?」

 部長の問いかけに、天野は小刻みに頷いた。そして別のモニターに、なんだかわからないパラメータだらけの画面を表示させ、もうひとつのキーボードで操作し始めた。

「ぼ、ボクに気づいたな。急にあ、荒っぽいことを仕掛けてきたよ」

 突然の事態に、部長と冬馬は一歩あとずさって、成り行きを見守ることにした。専門家に任せるしかなかった。

 天野はどこか楽しそうにキーボードを叩いている。そして、ゆったりした動きで水筒を取り出して、刺さったままのストローで飲み始めた。

「WEB SHELL攻撃だよ。DOLL CHOPPERかな」

 のんきそうな口調でそう言うので、部長が、「大丈夫なんですか」と急かすように問いただすと、天野は笑った。

「ははは。ドラマやらアニメで、コンピュータウイルスとかクラッカーと対決するシーンじゃあ、カタカタカタカタ、す、凄い勢いでキーボード叩いてるけどね。な、なにをそんなに打つことあるのって。今コード書いてんのかよ、みたいな」

 天野はそう言うと、USBメモリを一つ、ヒラヒラと見せびらかすように振ってからノートPCに差した。

「そ、備えがすべてだよ。あらゆる事態に対応する準備ができてるのが大事なんだ」

 鼻歌をうたいながら、天野は優雅にキーボードを叩く。

「ははは。無駄無駄。それは無理だよ」

 余裕のある様子に、部長と冬馬は顔を見合わせた。

「大丈夫そうですね」

「よかったわ」

「ていうか、ハッキングなんて、どこのだれが?」

「わからないわ」

「無理だってのに!」

 急に天野の声が大きくなった。そして優雅だったキーボードを叩く手つきがだんだんと速くなってきた。

 ガタガタガタガタ。

 デスクに置いた水筒が落ちそうになって、思わず冬馬はそれをキャッチした。

「ちょっと。なにをそんなに打つことがあるの、って言ってませんでしたか」

「うるさいっ」

 部長のツッコミに、振り向きもせず天野は怒鳴った。

「だ、大学サーバ側から逆に侵入かけられてるんだよ! クソみたいなファイアウォール使いやがって」

「え。それって大ごとじゃないですか」

 丘陵研究会のホームページが利用している、大学サーバ側には侵入できてるってことなら、すでに大変な事態な気がする。

 冬馬は急に悪化したらしい状況にも、見ていることしかできない歯がゆさを感じていた。

「私たちもなにか手伝ったほうがいいですか」

 部長が提案すると、天野は、「歌って」と言った。

「ジュディ・ガーランドの『虹の彼方に』。ぼ、僕にはリラックスが必要なんだ。それから小川君。君は肩を揉んでくれ」

 随分と勝手な要求だった。しかし、部長は、「わかりました」と言って居住まいをただした。そして歌い始めた。

「Somewhere over the rainbow~」

 綺麗な歌声が室内に響いた。

 冬馬も聴いたことのある歌だった。映画オズの魔法使いの劇中歌だ。

「way up high~ ぜ〜ざ〜あらん〜 ふううんん ふ〜んふふ〜ん ふ〜ふ〜ふ〜ふ〜ん」

 途中から歌詞がむにゃむにゃとなった部長の歌を聴きながら、冬馬は天野の背中を見た。不健康な痩せ方をしている天野の肩は、揉む肉がほとんどないように見えた。仕方ないので、骨を折ってしまわないように繊細な力でトントンと肩を叩く。手のひら同士で空気を包むようにして、それをクッションがわりに手の甲で叩くやりかただ。

 パシュパシュと手のひらの隙間から音が漏れるなか、天野は「お、いいね」と言って満足そうに頭を動かしている。



 しばらくして、天野のキーボードを叩く手が止まった。

「勝った。勝ったぞ。ざまあみろおおお」

 画面には右端まで到達した巨大なタスクバーが映っている。

「Why then,oh why cant I?」

 なぜか最後は流暢だった部長の歌も、ちょうど終わった。

「は〜。どうなってるんだ。こ、こんなやつに狙われるなんて」

 天野は疲れた声で椅子にもたれかかった。

「君たちのサークルのホームページなんてろくに情報もないし、あ、アクセスなんてほぼ皆無なんだから、乗っ取ったって意味ないだろうに」

「たしかにそうですよね。どこの誰なんスかね」

 冬馬が首を傾げると、天野が振り返った。

「ゆ、唯一、チャットルームだけは盛況だ。そこの情報をピークしたり、改ざんしたいんじゃないの」

 冬馬は部長と顔を見合わせた。

「で、でも、このレベルのクラッカーが狙うなんて、よほどのことだよ」

 天野は不審そうな顔つきで言った。

「君たち。そ、そこで政府転覆の悪だくみの相談でも、し、してるんじゃないの」

「そんなことして……ないよね?」

 不安そうな顔の部長に訊ねられ、冬馬もまた不安そうに、「ほとんどしてないと思います」と答えた。

この記事へのコメント
写真屋さん、なんでこんなに体型が変わったんだろうか
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月24日 21:43
メロンソーダ飲みすぎて糖尿病コースなのか・・・?
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月24日 22:13
豚が骨になってんのか
Posted by at 2026年02月02日 18:31
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