342『第78話 日常30 モリゲンの先輩』

 丘陵研究会のドアが突然開かれ、モリゲンが飛び込んで来た。

 階段を駆け上がって来たのか、荒い息を吐きながらドアを後ろ手に閉めた。そしてそのドアに背中を預けたまま、まるで助けを求めるように右手を突き出した。

「こ、甲賀先輩が」

「びっくりさせないでよ。なに? なんて? モリゲン」

 七緒が詰め寄る。

「はあはあ。甲賀先輩がいたのよ」

 モリゲンは長机に飛びつくと、持っていたハンドバッグを開けて中のものをぶちまけた。

「あ、アタシを探してるんだわ。なんで? でもそれしか考えられない。お、お化粧直さなきゃ」

 パッと顔を上げる。

「でもむしろ落としたほうがいいの? えええ。どうしようどうしよう。どうしたらいいの」

 うろたえるモリゲンを見ながら、冬馬は思った。

(かわいい)

「落ち着きなさいモリゲン。甲賀先輩ってだれなの」

 部長が静かな声でたしなめた。

「あ、アタシの防衛大時代の柔道部の先輩。しゅっ、主将だった人。アタシが防大辞めてからは会ってなかったの」

「うちの大学に来るはずない人なのね」

 モリゲンはうんうんと激しく頷く。

(モリゲンを探してるなら、一発でここがわかるな)

 冬馬はシミュレーションしてみたが、どうやっても10分とかからずたどり着いてしまう。なにしろ、サークル棟の3階の外階段の踊り場でいつも部長と並んで煙草を吸っていて、『美女と野獣』として知られている有名人なのだ。

 案の定、モリゲンがワタワタしているうちに部室のドアがノックされた。

「キャッ」とモリゲンが飛び上がったが、部長は、「どうぞ」と声を張り上げた。

「だめっ」とモリゲン。

「失礼します」

 入ってきたのは、パリッとした背広姿の短髪の青年だった。精悍な顔つきで、背筋がピンと伸びている。

「突然の訪問、申し訳ありません。私は海上自衛隊、佐世保地方総監部所属、甲賀幸隆(こうが ゆきたか)です」

 サッと頭を下げ、ピタッと止まり、また上げる。一連の動きにキレがあった。

「森本弦(げん)を訊ねてまいりました」

 そうして、野々口のうしろに隠れるように縮こまっていたモリゲンを見て、ニコリと笑った。

「元気だったか」

 声をかけられ、モリゲンは姿勢を正して、「はい」と言った。

「森本とは大学の同窓なのです」

 そんな甲賀に、七緒が、「そうですか、そうですか」と言いながら、後ろに回り、「今お茶を入れますから、ままま、中にどうぞ」と長机のほうに押し出した。

「あ、いや、その、自分は」

「まあまあ、積もる話もあるでしょうから。モリゲンも座って座って」

 困惑したままの甲賀は、モリゲンをチラリと見た。モリゲンも恥ずかしそうに俯いている。

「ここでは、その」

 そう言いかけた甲賀に、部長が声をかけた。

「丘陵研究会部長の音田です。森本さんは……。モリゲンは我が部の優秀な部員です」

 ね、モリゲン?

 部長が微笑みかけると、モリゲンは意を決したように、「はい」と言って、甲賀の前に立った。

「なにも隠すことはありません」

 堂々とした女装姿を見て、甲賀はゆっくりと頷くと、破顔した。

「そうか。良い仲間を持ったのだな森本」

 そうしてみんな長机におさまった。

 冬馬は甲賀という男を観察したが、柔道部の主将というわりに、小柄な体格だった。強豪柔道部ともなれば重量級の実力者も多いはずだが、甲賀は軽量級か、せいぜいその一つ上の階級のように見えた。その身体で、柔道部の猛者たちを束ねていたということは、よほど人間力のある、魅力的な人物だったのだろう。

「森本は地元の大学に入り直したと、人づてに聞いてな。連絡先がわからなかったから、急におしかけて申し訳なかった」

「あの。その節は、いきなり辞めてしまって、ご迷惑をおかけしました」

「いや。私こそ謝りたいと思っていた。森本の悩みや苦しみを理解してあげられなかった。守ってやれなかったのは、柔道部部長として痛恨の極みだった」

「そんな」

「あ、お茶のおかわりどうですか。かりんとうもありますよ」

 七緒が嬉しそうに世話を焼いて回っている。

(七緒ちゃん。こういう人、モロにタイプなのよね)

 部長は動き回る妹を見て苦笑した。

 しばらく思い出話に花を咲かせたあとで、モリゲンは口調を変えて切り出した。

「それで、甲賀先輩。なにか用があっていらっしゃったんでしょう?」

 甲賀は言いにくそうにしていたが、やがてふう、と息をついてから口を開いた。

「実は……。最近、身の回りで妙なことが起こっているのだ。その、いわゆる、心霊現象のような」

「はあ」

「森本は、そういうものが見えると言っていたのを覚えている。いつだったか、部員の相談に乗っているのを見た。実際、解決したとも聞いた」

 甲賀は不安げな顔で懇願するように言った。

「部隊では、誰にも言えなかった。口にすれば、組織に不適格な人間だ、という評価を下されそうで」

 吐き出すような声には怯えと、苦痛が入り混じっていた。

「今になって、なんて勝手な、と思うだろう。怒ってくれ。あの時、部を追われるように辞めていったお前を、守れなかった男なのに」

「先輩」

 モリゲンは落ち着いて、優しい声を出した。

「大丈夫です。自分は、いえ、アタシは、今ではいきいきと暮らしています。毎日が楽しいですよ。仲間に囲まれて」

 そう言って部員の顔を見まわした。

「このサークルは、丘陵研究会という名前です。略称は、オカ研。つまり」

 モリゲンはいたずらっぽい仕草で、人差し指を立てて見せた。

「オカルト研究会」

 そうして、全員の顔を見て、「せーの」と掛け声をあげた。

「そこ!」

 モリゲンが、部長が、冬馬が、七緒が、野々口が、いっせいに甲賀の胸元を指さした。

「えっ。えっ」

 うろたえながら、甲賀は上着の指をさされた部分をまさぐり、内ポケットから万年筆を取り出した。

 部員全員が、その万年筆からなにかを感じ取っていたのだった。

 モリゲンがにこりと笑って手を伸ばした。

「それ、貰い物ですよね」

「あ、ああ」

「貸してもらえますか」

「わかった」

「アタシ、こんな力もあるんですよ」

 そう言って、万年筆を手のひらで包み込んだ。その女装した巨体の全身から、暖かい光が発されているような気がして、甲賀は目をまたたいていた。

この記事へのコメント
なんか知らんがモリゲン良かったな
Posted by at 2026年02月02日 17:58
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