丘陵研究会のドアが突然開かれ、モリゲンが飛び込んで来た。
階段を駆け上がって来たのか、荒い息を吐きながらドアを後ろ手に閉めた。そしてそのドアに背中を預けたまま、まるで助けを求めるように右手を突き出した。
「こ、甲賀先輩が」
「びっくりさせないでよ。なに? なんて? モリゲン」
七緒が詰め寄る。
「はあはあ。甲賀先輩がいたのよ」
モリゲンは長机に飛びつくと、持っていたハンドバッグを開けて中のものをぶちまけた。
「あ、アタシを探してるんだわ。なんで? でもそれしか考えられない。お、お化粧直さなきゃ」
パッと顔を上げる。
「でもむしろ落としたほうがいいの? えええ。どうしようどうしよう。どうしたらいいの」
うろたえるモリゲンを見ながら、冬馬は思った。
(かわいい)
「落ち着きなさいモリゲン。甲賀先輩ってだれなの」
部長が静かな声でたしなめた。
「あ、アタシの防衛大時代の柔道部の先輩。しゅっ、主将だった人。アタシが防大辞めてからは会ってなかったの」
「うちの大学に来るはずない人なのね」
モリゲンはうんうんと激しく頷く。
(モリゲンを探してるなら、一発でここがわかるな)
冬馬はシミュレーションしてみたが、どうやっても10分とかからずたどり着いてしまう。なにしろ、サークル棟の3階の外階段の踊り場でいつも部長と並んで煙草を吸っていて、『美女と野獣』として知られている有名人なのだ。
案の定、モリゲンがワタワタしているうちに部室のドアがノックされた。
「キャッ」とモリゲンが飛び上がったが、部長は、「どうぞ」と声を張り上げた。
「だめっ」とモリゲン。
「失礼します」
入ってきたのは、パリッとした背広姿の短髪の青年だった。精悍な顔つきで、背筋がピンと伸びている。
「突然の訪問、申し訳ありません。私は海上自衛隊、佐世保地方総監部所属、甲賀幸隆(こうが ゆきたか)です」
サッと頭を下げ、ピタッと止まり、また上げる。一連の動きにキレがあった。
「森本弦(げん)を訊ねてまいりました」
そうして、野々口のうしろに隠れるように縮こまっていたモリゲンを見て、ニコリと笑った。
「元気だったか」
声をかけられ、モリゲンは姿勢を正して、「はい」と言った。
「森本とは大学の同窓なのです」
そんな甲賀に、七緒が、「そうですか、そうですか」と言いながら、後ろに回り、「今お茶を入れますから、ままま、中にどうぞ」と長机のほうに押し出した。
「あ、いや、その、自分は」
「まあまあ、積もる話もあるでしょうから。モリゲンも座って座って」
困惑したままの甲賀は、モリゲンをチラリと見た。モリゲンも恥ずかしそうに俯いている。
「ここでは、その」
そう言いかけた甲賀に、部長が声をかけた。
「丘陵研究会部長の音田です。森本さんは……。モリゲンは我が部の優秀な部員です」
ね、モリゲン?
部長が微笑みかけると、モリゲンは意を決したように、「はい」と言って、甲賀の前に立った。
「なにも隠すことはありません」
堂々とした女装姿を見て、甲賀はゆっくりと頷くと、破顔した。
「そうか。良い仲間を持ったのだな森本」
そうしてみんな長机におさまった。
冬馬は甲賀という男を観察したが、柔道部の主将というわりに、小柄な体格だった。強豪柔道部ともなれば重量級の実力者も多いはずだが、甲賀は軽量級か、せいぜいその一つ上の階級のように見えた。その身体で、柔道部の猛者たちを束ねていたということは、よほど人間力のある、魅力的な人物だったのだろう。
「森本は地元の大学に入り直したと、人づてに聞いてな。連絡先がわからなかったから、急におしかけて申し訳なかった」
「あの。その節は、いきなり辞めてしまって、ご迷惑をおかけしました」
「いや。私こそ謝りたいと思っていた。森本の悩みや苦しみを理解してあげられなかった。守ってやれなかったのは、柔道部部長として痛恨の極みだった」
「そんな」
「あ、お茶のおかわりどうですか。かりんとうもありますよ」
七緒が嬉しそうに世話を焼いて回っている。
(七緒ちゃん。こういう人、モロにタイプなのよね)
部長は動き回る妹を見て苦笑した。
しばらく思い出話に花を咲かせたあとで、モリゲンは口調を変えて切り出した。
「それで、甲賀先輩。なにか用があっていらっしゃったんでしょう?」
甲賀は言いにくそうにしていたが、やがてふう、と息をついてから口を開いた。
「実は……。最近、身の回りで妙なことが起こっているのだ。その、いわゆる、心霊現象のような」
「はあ」
「森本は、そういうものが見えると言っていたのを覚えている。いつだったか、部員の相談に乗っているのを見た。実際、解決したとも聞いた」
甲賀は不安げな顔で懇願するように言った。
「部隊では、誰にも言えなかった。口にすれば、組織に不適格な人間だ、という評価を下されそうで」
吐き出すような声には怯えと、苦痛が入り混じっていた。
「今になって、なんて勝手な、と思うだろう。怒ってくれ。あの時、部を追われるように辞めていったお前を、守れなかった男なのに」
「先輩」
モリゲンは落ち着いて、優しい声を出した。
「大丈夫です。自分は、いえ、アタシは、今ではいきいきと暮らしています。毎日が楽しいですよ。仲間に囲まれて」
そう言って部員の顔を見まわした。
「このサークルは、丘陵研究会という名前です。略称は、オカ研。つまり」
モリゲンはいたずらっぽい仕草で、人差し指を立てて見せた。
「オカルト研究会」
そうして、全員の顔を見て、「せーの」と掛け声をあげた。
「そこ!」
モリゲンが、部長が、冬馬が、七緒が、野々口が、いっせいに甲賀の胸元を指さした。
「えっ。えっ」
うろたえながら、甲賀は上着の指をさされた部分をまさぐり、内ポケットから万年筆を取り出した。
部員全員が、その万年筆からなにかを感じ取っていたのだった。
モリゲンがにこりと笑って手を伸ばした。
「それ、貰い物ですよね」
「あ、ああ」
「貸してもらえますか」
「わかった」
「アタシ、こんな力もあるんですよ」
そう言って、万年筆を手のひらで包み込んだ。その女装した巨体の全身から、暖かい光が発されているような気がして、甲賀は目をまたたいていた。
342『第78話 日常30 モリゲンの先輩』
posted by 巨匠
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この記事へのコメント
なんか知らんがモリゲン良かったな
Posted by at 2026年02月02日 17:58
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