339『第75話 日常27 遺物』

 冬馬の携帯電話に知らない人から着信があった。日本語に訛りがある。

「番号は小川サンから聞きました」と言っていた。その男性は、浦井陸(りく)と名乗った。

 冬馬の実の母の親戚らしいその人は、冬馬に見せたいものがある、と言った。アメリカに住んでいて、今回久しぶりの来日だとかで、あまり時間が取れないとも。

 よくわからないが、義父が紹介したのなら、身元ははっきりしている人なのだろう。とりあえず、指定の時間に喫茶店で待ち合わせすることにした。

 冬馬が丘陵研究会の部室で時間を潰していると、部長にそのそわそわした様子のわけを訊ねられた。

「浦井、陸?」

 なにか聞き覚えがあるようで、部長はその形の良い眉を傾けた。やがて、ポン、と手を打つ。

「あなたの、ひいお祖父さんの弟の息子ね。あなたのお母さんは彼の甥っこ……、じゃないわね。もう少し離れているかしら。でも、家族ぐるみで仲良くしていたはずよ。たしかNASAに勤めていて、あなたのお母さんは、とても彼を尊敬していたと、聞いたことがあるわ」

「なんで俺より俺の身内に詳しいんですか」

「なんの用かしらね。なにを話したか、あとで教えてね」



 そうして、冬馬は時間になって、喫茶店『チェリー』の前で待っていた。ほどなくして、通りの向こうから背の高い、初老の白人男性が現れる。青い眼に、彫りの深い顔だち。顎から頬にかけて、整えられた白い髭に覆われている。

「やあ。はじめまして。リック・ウライです」

 高めの声。差し出された手を握る。手の甲の肌は白いが毛深い。

「冬馬です」

 目の前の男性を観察すると、パッと見、白人に見えるが、顔立ちにアジア人の特徴が残っている気がする。日本語はややたどたどしいが、あまり違和感はない。その目を見つめたが、母に似ているかどうかはわからなかった。

 喫茶店に入ると、顔なじみになりつつある女性店員に、いつもの奥の席へ案内された。冬馬はなぜかそれが恥ずかしく思えた。常連客として認識されてしまったらしい、ということに、居心地悪い思いを抱いたのだった。

 席に着くやいなや、冬馬は、不思議な感覚に襲われた。

(なんだろう、この感じ)

 向かいの席の座る親戚の浦井陸を見たが、優し気な微笑みを浮かべているだけだった。

 彼は自己紹介をしたが、部長に聞かされたことと同じだった。移民の2世で、国籍はアメリカ。今でも時々、父の出身地である日本に帰省するのだという。陸、という名は日本での通称だそうだ。

 ただ、今はもうNASAを退職し、民間企業で嘱託のエンジニアをしているとのことだった。

「キミは、加奈子によく似ています」

 浦井陸はそう言って、目を細めた。そうして、母との思い出を語った。子どものころの母が、宇宙飛行士に憧れていたこと。NASAで働いていた彼に、どうすれば宇宙飛行士になれるのか、しきりに訊ねていたこと。

『日本で一番勉強しなくてはね』

 いつもそう答えていたそうだ。

 自分の知らない母のことを語られているというこの時間が妙に居心地悪くて、冬馬は横の観葉植物に目を落とした。

「フフフ」

 浦井陸はその様子を見て、深く座り直した。そして、まったく違う話をはじめた。

「ワタシの友人に、変わった人物がいます。彼は、同じ室内でコーヒーを飲んでいる人がいると、わかる、といいます。たとえ離れた席だったとしても。それは、匂いでわかるのか、と訊ねると、コーヒーが話しかけてくる、と言うのデス。つまり、臭覚ではなく、聴覚で認知しているということです。イエイエ、そんな顔をしないでください。彼は、優秀な理論物理学者です。今もMITで教授を務めています。彼はその『音』が嫌いで、私がコーヒーを飲んでいると、『早く飲んじまって、そいつを黙らせてくれ』と、よく怒られマシタ」

 そう言って、浦井陸は目の前に置かれたばかりのコーヒーカップを手に取った。

「美味しいです。コーヒーは世界中、どこに行っても、私を癒してくれます。……今のコーヒーの話は、話のマクラです。合っていますですか、使い方は。日本語を使うのは、久しぶりなので」

 冬馬が慎重に頷くと、彼はカップを置いた。

「本題に入りマス。今日あなたにお会いした、本当の目的です」

 そうしてカップを除けて、席の横に置いていた、ショルダーバッグをテーブルの上に置いた。

「私は、NASA時代の友人がたくさんいます。その中の一人に、元宇宙飛行士がイマス。数多くのアストロノーツとその候補者たちの中で、スペシャルな幸運にめぐり逢い、月に降り立った人です」

「アポロ何号ですか」

「ううん。それはナイショです。これから話すのは、センシチブな内容になるからです。そうですね。半分、おとぎ話として聞いてくだサイ。コホン……彼は、月面でのミッションの最中に、ある不思議な現象に遭遇します」

 浦井陸はバッグに手を置いたまま、冬馬の顔を見据えて話し始めた。

「月面で活動を始めた彼らを、まるで監視するように周囲を漂う物質を見たというのです。仲間たちに言うと、舞い上がった月の砂、レゴリスだろうと言われました。本部の見解も同様でした。しかし、彼はたしかに一瞬目にしたその謎の物体の動きに、なにか知的な意思を感じたと言います。それからも、彼はその現象に悩まされます。そして、月面ローバーに乗っていた時です。彼は、ローバーが空中に静止していた物体をはねたのを見たのです。ローバーを停止させ、周囲を探索した彼は、黒い物体を拾いました。そしてこれが、我々を監視していたものの欠片だと主張しました。仲間の意見は、ただの月面上に無数にある鉱物の一種だというものでした。彼は心理的プログラムを受けることになりました」

 浦井陸は無念そうに顔をしかめ、頭を振った。

「失意にあった彼は、その鉱物を私物に紛れさせて地球に持ち帰りました」

「そんなことできるんですか。国のプロジェクトでしょう」

 浦井陸はいたずらっぽい顔をして、ウインクをした。

「大きな声では言えませんが……、昔はできマシタ」

 そして彼はバッグから、煙草入れほどのカプセルケースを取り出した。中は見えない。

「彼はそのあと宇宙飛行士を引退し、家に引きこもるようになりました。私は友人として何度か彼の家を訪れ、この話を聞かされました。彼はすっかり人が変わってしまっていました。……宇宙空間を体験した宇宙飛行士が、その後、宗教的意識に目覚めたり、自分がなにか大きなものの一部なのだという実感を得て、意識、性格が変わる、ということはよくあることデシタ」

「あたりを見渡しても神はいなかった、ってガガーリンは言ってましたけどね」

 冬馬のつっこみに、初老の遠い親戚は苦笑した。

「それは宗教を否定するレーニン主義の立場での揶揄ですよ。それに、それを言ったのはガガーリンの後輩のゲルマン・チトフです」

「それは失礼しました」

「ジッサイのところ、持ち帰った物は、チタン鉄鉱。イルメナイトと呼ばれる鉱物でした。月面にも多数存在する物質です。彼は科学者でもありマシタ。しかし、その良識を越え、その物体に、現在の人類の科学力では検知出来ないなにかが混ざっている、と考えたのデス」

 浦井陸は、カプセルケースの上に手を置いた。

「彼は、それがスパイドローンの一部であるならば、なんらかの通信を行う機能があるはずだ、と考えマシタ。彼は調べましたが、本来イルメナイトに備わる弱い磁性こそあれど、そのような電磁波は検出できませんでした。彼はその謎を抱えたまま、天に召されましタ」

 そっと十字を切る仕草。

「彼の死後、私は彼の細君から……。合ってますか。ワイフのことです。これを受け取りました。最後まで真剣に彼の話を聞いてあげたのは、私だけだったと言われマシタ」

 冬馬は耳鳴りがして、浦井陸から目を逸らし、観葉植物を見た。構わず、彼は続けた。

「この話をした時、加奈子は……。あなたの母親は、とてもとても、興味を示しました。彼女は、いつも言っていました。月面にいる自分を、想像することがあると。そんな時、恐怖を覚えると言います。今までに月面で死んだ人間は、一人もいません。月が生まれて以来、その上で死んだ生物すらいません。月面は大気のない、死の世界とよく言いますが、実際には、死すら存在しないのデス。彼女は月面で一人横たわる自分を想像していると、途方もない孤独感に襲われると言います。それは私も考えたこと、アリマス。しかし、彼女は、そんな時になにか、他者の視線を感じる、と言うのです。加奈子は、不思議な感受性を持った子でした」

「霊感……ですか」

 浦井陸は静かに頷いた。

「私にも多少あります。血筋なのかも知れません。彼女は特にそれが強かったようです。月面では、霊感など働くはずないのデス。死のない世界なのですから。……もっとも、それはただの彼女の想像の話です。ただ、彼女の感受性は、そんなものを越えたなにかを捉えることがあったのも、タシカなのです」

 テーブルを滑らせて、カプセルケースが冬馬のほうに差し出される。しかし、その上を、持ち主の手が覆ったままだった。

「私は、加奈子にこれを見せてみようと思いました。その時のことを忘れることができません。私がこれを持って、彼女の部屋に入った時、なにも言う前に、彼女は立ち上がり、『それを見せて』と迫りました。私は、ズボンのポケットにカプセルケースを入れたままでした。なのに、彼女は、それを見る前に、私が持っているものがなんなのか、わかっていたのです」

 冬馬の耳鳴りはひどくなった。浦井陸は、淡々と話し続ける。

「友人のコーヒーの話を思い出しマシタ。加奈子は声を聞いていたのです。その尋常ではない様子に、私はためらい、結局彼女にソレを渡しませんでシタ。嫌な予感がしたのです。彼女の目は、こう言っているかのようでした」

 浦井陸は言葉を切って、天井を見上げた。

「片割れを、見つけた、と」

 沈黙が訪れる。店員が水のおかわりを持ってきて、黙って給仕していった。

「なぜそれを、俺に?」

 冬馬が問いかけると、浦井陸のさ迷っていた視線は、現在に戻ってきた。

「私が最後に加奈子に会った時、彼女に頼まれました。自分じゃなくていい。いつか、自分の子どもが成人した時には、それを渡してあげてくれないか、と」

「成人してるのは、姉のほうですよ」

「いえ。彼女は、はっきりと息子に、と言いました。私の国の法律では、あなたはもう大人です」

 冬馬は、再び浦井陸から目をそらした。耳鳴りがますます大きくなる。

「私は、今でも考えることがあるのです。私は空想の好きな少年でした。空を見て、その先に広がる無限の宇宙に心を奪われていました。だから、宇宙工学をこころざし、それに関わる仕事を選んだのデス。私は、空想の中で、はるか彼方の宇宙から、船に乗ってやってくる宇宙人になりました。私は、恒星系のハビタブルゾーン内にある、滅多にないスペシャルな環境の惑星を見つけます。地球です。私はその星をもっとよく観察したいと思います。しかし、地上に降り立つのは危険が伴います。濃密な大気の層が炎とともに、星を守っているからです。そして、そこに住む正体不明の知的生命体の放つ、統一性のない電磁波の輝き……。私は、どうすればいいでしょうか。あたりを見ると、すぐそばに、いつも同じ面を向けてその惑星を周回する、衛星が一つあるではないデスカ。大気も存在しない、うってつけの環境です。私は、その静謐な衛星に降り立ち、観察を始めます。暗い真空の先に輝く、青く美しい星を」

 浦井陸は、頬の髭を軽く撫でると、もう片方の手で、冬馬の視線の先を指さした。

「あなたも、聞こえるのですね。ソレの声が」

 観葉植物の後ろに隠されていたものを、冬馬は最初からわかっていた。

 浦井陸は試したのだ。冬馬のことを。待ち合わせの時間の前に、先に喫茶店に入り、それを隠した。そして、店員に頼んで、その席に案内させた。

「どうすれば、いいんですか」

 困った顔で、冬馬は問いかけた。

「私は、もう役目を終えました。……肩の荷が下りた気分デス」

 冬馬は観葉植物の後ろに手を伸ばした。隠されていたのは、テーブルの上に置かれたブラフ用のものと、まったく同じカプセルケースだった。

 それを見た浦井陸は深く頷いた。

「嫌な予感は、もうしません。それは私の願望なのかも知れませんが、とにかく、今はもうしないのです」

 浦井陸は、両手で包むように、冬馬の手を取った。大きな手だった。深く輝く、青い瞳が近づいて、冬馬を見つめている。

「ここからは、アナタの物語です」

 彼はそう言って、包んだ手を、ポン、と上から優しく叩いた。

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