337『第73話 もつれ太夫 死闘編 8』

 周囲は木々が生い茂っている。四人そろって油断なく雨の降る道を歩いていると、冬馬はだんだんと心臓の音が早くなっていくのを感じていた。

 式神はもういない。あとはあの仮面の二人だけだ。

 なのに、嫌な予感がふつふつと湧いてくる。

「本来土地に縛られている御子神は、簡単には呼べない。あの大掛かりな仕掛けも、もうない」

 歩きながら部長は言った。

「残るは、この街にゆかりの御子神だけ」

「母に会いました」

 冬馬が言うと、部長は顔を向けた。疲れの色がはっきりとある。部長の、いつも白く、しゅっとした顔が、今は赤くむくんで見える。

 あれだけのろいゆびを使っていたのだ。冬馬のように未完成で自分にも呪いが跳ね返るものではなくとも、本体にダメージがないとは思えなかった。

「頭の中に頼みごとが来てるけど、無視してると言っていました」

「彼女らしいわね」

「あと、弓使いは、クソ真面目だとか」

 部長は頷いて前を向いた。

「小熊ちゃん。あなたの出番よ」

 小熊は緊張気味に、「はい」と答えた。

 部長も七緒も、小熊も、全員傷だらけだ。服はそこかしこが破れているし、噛まれたような傷跡が手足に残っている。普段の、丘陵研究会の部室でダベっている生活が、嘘のようだ。

 電話が鳴った。部長が携帯電話を取り出す。電波は戻ったようだ。

 電話の相手と短く応答を終え、部長は、「準備は整った」と言った。

 傘を差した二人の仮面は、動く気配はない。取り巻きの式神はもう一匹も残っていないが、逃げる気もないようだった。

 やがて道の先の、開けた場所に出た。大きな駐車場がある。近くには体育館があった。車は一台も停まっていない。

 50メートルほどの距離まで近づいたところで、部長は立ち止った。

 仮面たちは、なにかを仕掛けてくるようなそぶりを見せない。不信感が募る。

 その時、冬馬は自分のすぐ真横に、誰かがいるのに気が付いた。青いレインコート。フード部分を目深に被って、顔の奥は見えない。

「部長!」

 叫んで、跳び下がった。

 誰もいなかった。はずなのに。それは突然出現した。

 レインコートの人物は、半身になり、両手を上げ、構えた。弓を引く構えだった。

「避けて!」

 部長は叫びながら転がる。七緒と小熊も、服が水溜まりで濡れるのも構わず、身体を地面に投げ出した。

 ギインッ!

 甲高い金属音が響いた。

 冬馬が、胸の前に金属バットを構えていた。そこに、何かが当たった。

「あんた両手!」

 それを見た七緒が喚いたが、冬馬は、「だから見間違えだって」と答える。

 冬馬は弾いたはずの矢を探した。しかし、地面には落ちていない。

 レインコートを見る。今度は、構えた手に、大きな弓がしなっているのがはっきりと見えた。つがえた矢まで見える。

「出たな、弓使い。まんまじゃねえかよ」

 また、レインコートが矢を放った。

「うおっ」

 構えた金属バットを掠め、矢が冬馬の脇腹に刺さっていた。鋭い痛み。

「全員俺の後ろに」

 冬馬は矢を抜こうとした。普通は抜かないほうがいい。血が流れ出るし、カエシの部分でさらに傷を抉られるからだ。だが、冬馬には、矢が刺さったままのほうが動きの邪魔になる。

 予想外のことが起きる。手が空を切った。

「なに?」

 確かに刺さっていた矢は、消滅した。しかし、脇腹の激痛は残っている。血が吹き出す。

 小熊が冬馬ごしに、なにかを投げた。レインコートがそれを避ける。遠くの地面に、ガチッと金属製の音が弾けた。

「山田あすみさん!」

 部長が大きな声で呼びかけた。不思議な声色だった。

「あなたの使命は、この街を守ることでしょう。それが、古から受け継がれてきた、犬神人(イヌジニン)の定めのはず!」

 また矢を打たれる前に、距離を詰めようとしていた冬馬は、躊躇した。

 部長の声は、まるで神主の祝詞のような抑揚を持っていた。

(そうか。ミコガミは神様なんだもんな。奉り方が邪道でも)

 再び矢が放たれる。今度は冬馬の肩に刺さった。

「ッ痛ええ」

 部長が小さな声で言った。

「彼女は、金属バットとの組み合わせは、一度見ている。武器として認識している以上、理不尽に貫通してくることはないわ。ヘッドショットにだけは気をつけて。いくらあなたでも、意識を飛ばされたら危ないわ」

「どこだろうが、危険が危ないですよ」

 冬馬はそう言いながら、バットを頭部に構えた。

(俺に盾をやれって言ってんのかよ部長)

「あすみさん。この子、小路小熊は、あなたの娘です。小路家に養子として預けられた、あの子どもです」

 バシュッ。

 冬馬の右胸に矢が刺さる。レインコートが再び弓を構えると、右胸に刺さっていたはずの矢は消滅した。

(一個を使いまわしてるのか。拾いに行かなくて済んで、便利なことだな畜生が)

 冬馬は呪いの言葉を投げかけた。

「あすみさん! あなたの娘、小路小熊は、イヌジニンです。義理の祖父、小路詩郎さんが育て上げました。見てください! 彼女の姿を!」

 小熊は、冬馬の後ろから出て、その横に立った。

 レインコートは弓を引いた構えのままで静止した。

「お母さん!」

 小熊が、ゆっくりと歩き出す。

「体術は二条流。弓術は鳥井流を習いました。それを補強するために、剣道を習いました。空手を、柔道を、合気道を習いました。友だちはいません。勉強もできません。私は馬鹿です。その分、身体を鍛えました。全部、それです。全部、全部、それだけです」

 小熊は喋っているうちに、涙を流していた。

 魂そのもののような声を聞いて、冬馬まで瞼が熱くなるのを感じた。

 小熊は両手を広げて、レインコートのすぐそばまでやってきていた。

 弓に矢はつがえられたままだった。しかし、弦が引き絞られたまま、時が止まっていた。

「お母さん。あなたの娘の手を、見てください。握ってください」

 冬馬は、小熊のその言葉を聞いて、思い出していた。

 あれは丘陵研究会の部室で、手相占いをしていた時のことだった。

 七緒が持ってきた占いの本を見ながら、ああでもないこうでもないとみんなで適当なことを言っていた。

 あんたも見てあげるから、手ぇ、貸してみ。と七緒が言うと、小熊は恥ずかしがった。七緒が無理やり開かせると、そこにはマメや内出血の跡がいたるところにできた手のひらがあった。それらが何度も何度も繰り返され、ボコボコになった手のひらだった。

 七緒が、「ごめん」と謝った。七緒自身、子どもの頃から剣道をやっている。だから、その手を見て、小熊がどれほど無茶な鍛え方をしているか、身に染みてわかったのだ。

「お母さん!」

 小熊はその手のひらを広げて、さらに近づいていく。

 レインコートはゆっくりと弓をおさめた。そして、その大きな弓を左手に持って、腰の横につける。

 レインコートの奥の顔は見えない。雨に濡れながら、立ち尽くしている。

 小熊が近づいた。

 抱きつこうとする動きに、見えた。だが、次の瞬間、小熊の手には、小さな黒いものが握られていた。目に見えないほどの動きだった。

 ドッ、と小熊は肩からレインコートにぶつかり、その腹部に黒いものを突き立てていた。小刀だった。

「や!」

 小熊は腹部に突き立てた小刀を捻って切り返し、もう片方の手を下から添えて、上部に向けて切り上げた。

 バッ、と鮮血が飛び散る。

 冬馬には、それがスローモーションのように映った。紙でできた式神を殴り飛ばし、傷口から繊維が飛び散ることに慣れていたその目には、ゾッとする光景だった。

 致命傷だった。全員、それがわかった。

 小熊は姿勢を正して、レインコートの人物に向き合った。それは、赤く染まったレインコートを見下ろし、ゆっくりとした手つきでフードを取り払った。

 小熊と同じような背格好の女性だった。左目のあたりが、引きつり傷で覆われている。そして右半分は、小熊をより端正にしたような顔だった。小熊が大人になれば、そんな顔になるのだろうか。

「お母さん」

 小熊が涙を流しながら呼びかけた。

「弓を、渡してください」

 弓使い、と呼ばれた女性は、成長した娘を見つめ、かすかに笑った。

 そして、左手を持ち上げ、弓を高く掲げた。

『お前に、託す』

 掠れた声だった。小熊はそれを受け取った。冬馬はその姿を見て、あたりの空気が清浄に包まれたような気がした。

「お母さんに会えたら、話したいことがあった。訊きたいことがあった。私の名前がどうして小熊なのかって。お母さんは、私のことを忘れてしまったのかって。食べ物はなにが好き? なにをしてる時が楽しい? 音楽はなにを聴くの? もし、もし、一緒に住めるようになったら、どんなところに住みたい? 私、どこでもいいよ。一緒に旅行するなら、どこに行く?」

 小熊が必死に言いつのる間に、弓使いは微笑みを浮かべたまま、徐々にその存在が薄れ、消えて行った。

 やがて、雨だけが地面を叩き、流れた血の跡もなにも残らなかった。

 小熊は立ったまま涙を拭いた。

 グギャ、という醜い声が聞こえた。

 冬馬が顔を向けると、離れた場所にいた仮面の二人が宙に浮いていた。

 ハッとして横を見ると、部長が左手の小指をそちらに向けている。その相貌に、はっきりとした怒気が見えた。

「あなたたちは、もういいわ」

 部長がそう言うと、宙に持ち上げられた弱法師の身体が徐々に捻じれていった。

 弱法師はなにごとか、命乞いのようなことを喚いていたが、部長が、「消えなさい」と冷たく言うと、その全身が爆発して飛び散った。仮にも、自分の師を模した姿だったはずなのだが、なんの躊躇もなかった。

 冬馬はそれを見て、理解した。部長は、はじめから、あの仮面の連中など、いつでも消せたのだ。

 この一連の出来事のすべては、弓使いを誘い出し、その弓を手に入れるためにあった。

 たしかに、部長は最初からそう言っていた。だが、目の前で起きた光景を見ると、冬馬はあらためて彼女の底知れなさを思い知らされたのだった。

 カランカラン、と地面になにか落ちて音を立てた。弱法師の仮面だった。

「あとはあなただけね」

 部長は怒っていた。ゆっくりと歩いて、空中に吊り下げられた小面に近づいて行く。

この記事へのコメント
弱法師も含めウニの描かれ方が逐一面白いw
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月15日 21:54
襲撃編6での宣言通りウニ(弱法師)は冬馬が殴り倒すのかと思ったら音響がやっちまったな
ホンモノの方が殴られることになるのか・・・?
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月15日 23:28
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