336『第72話 もつれ太夫 死闘編 7』

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 七緒は森深い舗装道を走っていた。あたりは暗い。自分がどのあたりにいるのかもわからなくなっていた。息が切れて、座り込みたくなる。

 木刀も失っていた。今襲われたら、ひとたまりもないだろう。

 部長と、七緒と三人で逃げていたが、黒い海のような式神の大軍に飲み込まれ、わけがわからなくなった。そのあとのことはあまり覚えていない。気が付くと、周囲に誰もいなくなっていた。

 七緒は胸元に目を落とす。かすかに温かみを感じる。姉がくれた魔除けのペンダントの力で、自分だけ逃げのびたのだろうか。だがその力もか細く、弱くなっているのがわかった。

 ふと、目の前に見覚えのある後ろ姿が見えた。

「お姉ちゃん!」

 部長は、道の真ん中に座り込んでいる。ふらふらと頭が揺れていた。嫌な予感を振り払って駆け寄る。

「大丈夫? お姉ちゃん」

 肩を抱いて、その顔を覗き込んだ時、七緒は、「あっ」と小さくうめいた。

 姉の顔は、目や眉や鼻、耳など、すべてのパーツがグチャグチャになっていて、グズグズとおぞましく蠢いていた。

 ガシッ、と両腕を掴まれる。

「七緒ちゃん。たすけて」

 姉の声だ。ざわざわという音とともに、周囲に黒い影が現れた。囲まれている。

 暗闇から顔を出したのは、人間たちだった。だが、その頭部は変形し、人間の原型をとどめていない。腕が片側に3本も4本もくっついている者もいた。

 トーテムポールのように同じ顔が三つ重なっている男が、それぞれの口で、「遊ぼう」「お茶しよう」「やらせろ」と言いながら、近づいてきた。

「くそっ」

 七緒は涙を流した。姉はさらに抱きついてくる。

(なんだよこれ)

 ぼそりと呟いたとき、目の前のトーテムポールの一段目が真横に吹き飛んだ。まるでだるま落としのように、上二つがドン、と落ちて、乗っかった。次に、その二つの顔も、衝撃音とともにまとめて吹き飛ばされる。七緒は目を見開いた。

「冬馬!」

 冬馬は上段回し蹴りでトーテムポールの頭部を破壊し、横蹴りで胴体をぶっ飛ばした。そのまま、まわりの人間もどきたちを蹴り倒していく。

 最後に、七緒にしがみついていた部長もどきを蹴り飛ばし、仰向けになったその顔を踏みつぶした。そして振り向くと、七緒に、「部長の今朝の体重は?」と問いかけた。

 また持ち上げられる、と身構えていた七緒は、目を剥いて震えた。

 冬馬の手首から先がなかった。それも、両手ともだ。

「な、なんで、あんた……」

 切り落とされた断面から、ボタボタと血が滴っている。

「よんじゅう……きゅうてん……にーごー……」

 七緒は茫然として呟いた。冬馬は頷くと、ふらりとして道の端の茂みに倒れ込んだ。

「あ、冬馬」

 七緒が駆け寄ると、その顔からは血の気が引いていた。

「あの怪獣にやられたの?」

 七緒は半分泣きながら冬馬に抱きついた。

「いや……。まだ戦ってる」

「はあ? なによそれ」

「時間がかかるから……、手分け、したんだよ」

 冬馬はうめくと、ふと気づいたような顔をして、「あれ、意外と、うまいな今の」と言った。

「びょ、病院。救急車! あ、でもだめなの。今なんでか電波通らない」

 混乱する七緒に、冬馬は、ゆっくりと語り掛けた。

「大丈夫だ。手はくっつく。でも、さすがにきつくなってきた」

 その時、視界の端で、火の手が上がったのが見えた。

「お姉ちゃんだ!」

 だが少し距離があるようだ。同じ道の先ではない。

「行け、七緒。部長と合流しろ。俺は、ちょっとここで休む」

「でも冬馬」

 七緒はそう言いかけて、すぐに胸からペンダントを取り出した。冬馬の胸の上にそれを置いて、「お姉ちゃん連れてくるから、待ってて」と言った。

 駆けだした七緒を見送って、冬馬は胸のあたりが少しスウッと軽くなった気がした。冬馬は、自ら切り落とした両手の手首から先が、今も繋がっているのを感じている。一瞬で行わなければいけなかったから、地面に置いた手に、ナイフをあてがい、足で踏んで体重をかけ、無理やり切断したのだ。酷い断面だったが、その先から今も、絶え間なく、死滅の呪いが流れ込んできている。

 七緒がくれた魔除けは、それを少し緩和してくれているようだが、焼け石に水だった。

「やっべーな」

 だんだんと、周囲の闇がざわついている気配がしてきた。式神に囲まれつつあるようだった。

 冬馬の身体からは、金色の光が漏れている。それを警戒しているようだ。その光が尽きた時が、冬馬の命が終わる時だった。

(君は、自分の死を想像していないのではないか)

 また黒図さんだ。それはもう、わかったよ。

 冬馬は意識があいまいになっていくのを感じていた。

「よお」

 目の前に誰かいる。

「よおって」

 目を開けると、黒い帽子の女性がしゃがみこんでいるのが見えた。

(死ぬ前に、母の顔を見るとは)

 親父じゃなくて良かったな、と冬馬は自嘲した。

「私は、本人じゃねえぞ。残念ながら」

 母は冬馬の胸に手を置いた。暖かさが伝わってくる。幻なのに、と冬馬は思う。

「御子神(ミコガミ)ってやつだ。今もすげえ頭んなかにお願いが来てるけど、無視してんだ」

 ししし、と母は笑った。

「弓使いのやつは、クソ真面目だからな。神様として頼まれちゃあ、嫌とは言えないだろ。出てくるから、自分たちでなんとかしろ」

(そうか。まだそんなやつもいるのか)

「それにしても、おまえ、私と比べると武闘派だなあ。もうちょっと頭使えよ。頭を」

 母は帽子を指さして言った。

「まあ、今後の課題だな」

 母は立ち上がった。

「さて、私はもう消えるけど、最後に御子神らしいことをしてやるかな」

 いたずらっぽい表情を浮かべて、母は空中に文字を書いた。見えない筆で書いたように、その文字がはっきりと見えた。雨冠の下に、龍という文字がくっついている。

「これはな、オカミって読むんだ。神様の名前だな。すべての名前は、誰かの祈りだ」

 母の言葉に、冬馬は顔を上げた。

(俺の名前も?)

 母は、ポン、と冬馬の頭を叩いた。

 そして、オカミという漢字を頭上に移動させ、その下で両手を合わせた。

「あぶらかだぶらー」

 そんな呪文を唱えながら、「なんだっていいのさ」と言った。母は祈り続けた。その目は、真摯だった。

 やがて、冬馬の顔に、ぽつりと冷たい雫が落ちた。

 ポトリ、ポトリ。

 やがてその粒は大きくなり、立て続けに、冬馬の顔、そして身体を叩き始めた。

(雨……)

 祈りを止めた母は、冬馬に、「私はここまでだ。あとは頑張れよ」と言った。

 そして去って行こうとして、ぴたりと足を止めた。振り向くと、「なんてな」と、八重歯を見せて笑った。そして種明かしするように、両手を広げて言った。

「雨ごいなんて、降りそうな時にするもんだ」

 母は右手を空中で振って、冬馬に別れを告げた。母の去ったあと、冬馬は雨の降り続く、真っ暗な空を見上げていた。

 どれくらい経っただろうか。冬馬は空が明るいことに気づいた。

 ハッとして身体を起こす。空は曇っているが、曇っていることがわかるくらい、普通の空に戻っていた。

(夢……?)

 ズキッ、と手首の痛みがやってくる。しかし、全身を襲う激痛は消えていた。

 冬馬は肘をついて、立ち上がった。周囲には、たくさんの黒い紙が落ちていて、クシャクシャになって雨に打たれている。

(そうか。紙が弱いのは火だけじゃなかったんだ)

 冬馬は、雨に濡れながらソフトボール場の前まで戻った。その途中でも、無数の紙が落ちていた。溶けかけていて、原型もわからない。

 祭壇があった場所には、その痕跡しかなかった。ヤツラオが現れた時に、自ら踏みつぶしたのだ。そのヤツラオとクツラオという二頭の怪物の姿はなかった。ただ、それらがいた場所に、黒い汚泥のようなものが落ちていた。それが、雨に流されて、舗装された道路の上にドロドロと広がっていた。

 紙でできた式神ではなく、ミコガミとして呼び出されたこの二頭は、雨など効きはしないだろう。冬馬ののろいゆびが、ついにその息の根を止めたのか、それとも、やはり時間制限があったのか。

 いずれにしても、冬馬の粘り勝ちだった。

 道の上を見回していると、自分の二つの手首が落ちているのを見つけた。それを拾い上げると、元の位置に戻して両脇の下に挟み込むように固定した。

「あ、バット」

 山爺の頭に丸のみにされた金属バットが落ちていた。冬馬はそれを足を使って器用に拾い、脇の下に挟んだ。

「あ、やば、七緒」

 思い出して、元の場所に急いで戻ると、部長と七緒と小熊が一緒にいた。

「冬馬ぁ! どこ行ってたんだよ! バカ」

 全員濡れそぼっている。もう合言葉の確認は必要なかった。

「冬馬さん、手は?」

 両脇に手を入れて腕組みをしている冬馬に、小熊が恐る恐る訊ねた。

「ああ。ちょっと怪我したけど、大丈夫」

「大丈夫なわけないでしょ! ちょん切れてんだから」

 わめく七緒に、冬馬は見間違いだと言い張った。

「八面王(ヤツラオ)と九面王(クツラオ)は倒したのね」

 確認する部長に、冬馬は頷いた。

「恵の雨です。もうこれで解決でしょうか」

 小熊がまだ雨の降り続く空を見上げた。

「いいえ」

 部長が、道の先を見つめた。いつの間に現れたのか、はるか遠くに、二人の人影が見えた。その人物は、どちらも傘を差しているようだった。

「小面と、弱法師」

 小熊が、手にした小さな望遠レンズを覗き込んで言った。

「行きましょう。決着をつけに」

 部長はそう宣言して、歩き始めた。

この記事へのコメント
加奈子さん久しぶりや
Posted by at 2026年01月16日 21:04
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