333『第69話 もつれ太夫 死闘編 4』

 まるで海底を歩くように、ゴボゴボという瘴気を吐き出しながら、部長は進んでいった。その周囲であらゆる式神が、爆散し、炎上し、消滅していく。悪夢のような絵だった。

『●●●●●●●●』

 部長の口から洩れた墨のような瘴気が、読めない文字となり、あたりに飛散しながら式神たちを倒していく。

 あれほどいた式神たちも、もう残り少ない。涙を流している鬼神面の前に、部長は歩み出た。

 鬼神面はなにか呪いの言葉を吐いた。その瞬間、緑色の突風が吹いて、冬馬たちのほうへ吹き付けてきた。しかし、その風は墨で塗り替えられ、重さを付加されかのように、地面に落ちた。鬼神面は木刀を上段に構えて、部長に斬りかかっていった。その剣先が、部長に触れる前に、足元から吹き上げた火炎で、鬼神面は大きな火柱となった。

 呪詛の声を上げながら、鬼神面は崩れ落ちた。その瞬間に、残りの式神たちが消滅した。

「部長!」

 冬馬が駆け寄ると、部長の姿は見る間に元に戻っていった。

 ゴクリ。

 部長が口の中のものを飲み込んだのが見えた。虫を飲んだのだ。

「大丈夫ですか」

 ふらついた部長を、思わず冬馬は抱きとめた。

「式神は?」

 周囲が見えていなかったのか。部長は朦朧としていた。

「大丈夫です。全部消えました」

 冬馬は、そう言ってから、腕のなかの部長の身体が現実であるという実感を得ていた。すべて幻だったような気さえしていたからだ。

「重いから、本物スね」

 冬馬が言うと、部長は笑った。

「女の子に、言わないほうがいいわ」

 部長は冬馬の手を離し、立ち上がった。鬼神面が倒れた場所には、仮面だけが落ちていた。部長が煤で汚れたそれを拾い上げて、裏側を見る。

「やっぱり夜叉面ね。書いてある。日付があるわ。だいたい400年前のものね」

 部長は仮面を地面に放った。

「ただの道具に、私ののろいゆびは効かない。燃やせないから、冬馬くんが壊しなさい」

「え、いいんですか。年代物ですけど」

「取り戻されたら危険です」

 冬馬は、金属バットを振りかぶって、力任せに夜叉の面を破壊した。それを見届けたあとで、部長は周囲を見回してつぶやいた。

「日食が解けない」

 冬馬もハッとして空を見上げた。まだ暗いままだ。腕時計を見たが、日没はまだ先だ。

 二人は道路の真ん中から離れ、歩道側の建物に近づいた。部長がビルの玄関ドアを触ろうとすると、その手前で見えない壁に遮られた。

「触れない」

 冬馬も試してみるが、同じだった。まるで、黒図を追って、部室から侵入した時の、黒図宗家の屋敷の幻影のようだ。

「閉じ込められるってことですか」

 天井もない、だだっぴろい牢獄だ。冬馬は、周囲を見回して笑ってしまった。

「時間をかけてはだめね。残り二体の仮面を倒さないと」

 部長は携帯電話を取り出した。

「あ、七緒ちゃん。良かった。電波は生きてるのね。今どこ?」

 七緒たちも無事らしい。

「そう。じゃあ、運動公園の入り口で集合しましょう」

 部長は電話を切ると、冬馬に、「行くわよ」と言った。

「どうして運動公園なんですか」

「そっちを率いているのが、小面だからよ」

「国分川のほうがヨロボシ、でしたっけ」

「弱法師の仮面を被っているのは、恐らく私の師を模した式神よ」

「どうしてそう思うんですか」

「消去法よ。もつれ太夫と因縁を作った4人のうちの3人。今倒した夜叉面が、山中ちひろの式神。運動公園の小面が、倉野木綾の式神」

「もう一人いるんじゃないんですか。写真を見せたでしょう。部室で。二世師だとかいう」

「……」

 歩き出しながら、部長はなにか思案していた。

「私は、直接はほとんどやりとりしたことがないわ。ほぼ伝聞でしか知らない。彼は、味方なら少し頼りないところもある人物だった。でも、もし敵に回ったとしたならば……」

 部長の表情に、緊張が張り付いたのを冬馬は見て取った。

「とても恐ろしいわね。想像したくない」

「名前は? なんていうんですか」

「……言いたくない」

「え、なんでですか」

「彼自身が、昔言っていたんだけど。『羊たちの沈黙』で有名な、レクター教授というキャラクターがいるでしょう。その前日譚にあたる、『レッドドラゴン』という小説の序文で、作者がこう言っているの。『ふだん仕事中のわたしは登場人物からは見えない存在だったが、レクター博士の前では、とても居心地が悪かった。彼にわたしが見えていないという確信が得られなかったからだ』ってね。どういうことかわかるかしら」

「はあ。なんか怖いすね」

「因果律を超越するような存在もいるっていうお話よ。私は、師から彼のことをたくさん聞かされた。彼は、今は失踪していて行方不明よ。それから5年経った。今も彼が、彼のままでいるのか、私にはわからない」

 部長を包んでいる、恐怖心の正体がなんなのか冬馬にはわからなかった。そしてそれが妥当であるのかも。

「私の師は、彼について語る時、彼の名前を言わなかった。ただ彼について語っているだけでも、彼がこちらを見ているような気がするのよ。時空と、因果律を超えて。作中人物に過ぎないはずの、レクター教授のように」

「なんだか、よくわからないスね」

 冬馬の軽い調子に、部長はようやく頬を緩めた。

「とにかく、式神の司令塔と思われる三体の仮面のなかに、『彼』はいない、と思うわ。いてはたまらない、という希望的観測だけど」

「なんで国分川のヨロボシは後回しにするんですか」

 部長はため息をついた。

「中の人と思われる私の師は、雑魚なの」

「はあ」

「カエルレスラーなの。その式神も推して知るべしだわ。だから放っておいていい。小面のほうは危険ね。倉野木綾は、未来視の女性だった」

「未来視? 未来予知ができるってことですか」

 冬馬は驚いていた。ここ数か月、超能力者や、超能力者まがいの人物に立て続けに出会って、感覚が麻痺しつつあったが、さすがにそれは信じられなかった。予知能力者だなんて。

「ただ、もつれ太夫と戦った時には、彼女は未来視の能力を見せなかったはずなの。だから、今回は大丈夫なはずなんだけど」

 少し自信がなさそうだった。

 昼間なのに暗い空の下で、誰もいない駅前の大通りを歩くという体験は、現実離れしていた。冬馬は、足元がふわふわするような感覚を味わいながら、部長と並んで歩いた。

「変なデートだな」

 思わずそうつぶやいた。

「そういえば、黒図さんの狐火をのろいゆびにしてるんですか」

 そう問われて、部長は自分の左手の人差し指を見た。

「ええ。黒図君に協力してもらったの」

「それいいですねえ。俺もできないかなあ」

 冬馬がそう言って手のひらを広げると、部長は、「駄目よ」と言った。

「いや、でも言ったでしょ。たまに出てくるんですってあの人。今も」

「そういうことではないわ」

 部長は左手を出して、薬指を動かしてみせた。

「この左の薬指は、のろいゆびにはできたんだけど、使えないの。小指の呪いと被ってしまったからよ」

 左の小指をピンと立てて部長は続けた。

「あなたもやったからわかると思うけど、のろいゆびは、毒手と似た作り方をするのね。呪いを溜め込んで、その呪いで自分が害されないように治癒しながら、徐々に作り上げていくのよ。その過程で、身体にいわば免疫のようなものができるの。だから、一度作ったのろいゆびと、似た呪いで新たにのろいゆびを作ろうとすると、その免疫が邪魔するのよ。だから、後から作ったほうの私の薬指は、ほとんど機能しない」

「え、でも、俺が持ってるの、火とかじゃなくて、殺生石のやつですよ。なんだよ殺生石って。あらためて思うととんでもねえな」

「ええ。でも私が言いたいのは、これからのこと」

 部長は並んで歩く冬馬の顔を見上げた。

「あなたには、狐火とは違う、別の火の呪いを身に付けて欲しいと思っている」

「だから狐火を先に入れちゃダメってことですか。なんですか、別の火の呪いって」

 冬馬の問いかけに、部長は妖艶な微笑みを浮かべた。それを見て、冬馬はギクリとする。

「まさか……」

(あんた、なに考えてんだ)

 絶句する冬馬に、部長は顔を近づけて囁くように言った。

「黒図一族の奥の院に眠る、黒火(クロツヒ)を、取り込んで欲しいの」

 冬馬は、黒図一族がかつて操ったというその黒い火の逸話を、三島教授から聞かされたばかりだった。

 光を発しない火。それが、敵対する相手の家屋敷に放たれた時に起こる、恐ろしい惨劇の話を。

 想像するだけで身の毛がよだつ、禁忌の力だった。武士勢力としての黒図党は、その力の使い方を誤り、自ら滅びたという。

「たぶん、それは、あなたにしかできない」

 魔女が耳元で囁いてくる。冬馬は硬直していた。

 その時、目の前の暗がりから七緒が飛び出してきた。

「お姉ちゃんなにしてんのよ」

「冬馬さん、こっちに来てください」

 小熊もいる。焦った様子だった。まだ運動公園は先だ。なにかあったのだろうか?

 冬馬が小熊に引っ張られそうになった時、部長が鋭い声を上げた。

「私の今朝の体重は?」

「は? なにそれ。それどころじゃないんだって、お姉ちゃん!」

「冬馬さん、早く!」

 冬馬は、瞬時に目の前の小熊に蹴りを入れた。ドシッという音がして、蹴りの当たった腹部が陥没した。

 ついで、七緒の全身が燃え上がった。部長が左手の人差し指を向けているのが見えた。

「あ〜あ」

 火に包まれながら、七緒は笑っていた。続いて小熊の姿をしたものも燃え上がった。

「まだまだいるようね。式神は」

 燃え尽きた二人を見て、部長はため息をついた。

「急ぎましょう」

 速足になりながら、冬馬はさっきの話がうやむやになったことに、わずかな安堵を覚えていた。

この記事へのコメント
どうやら失踪した師匠は、想像以上の化け物になっているらしい
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月13日 21:10
味方にしても頼りないけど敵に回すと恐ろしい...昔どこかで聞いたことあるけど何ちゃんねらーだったかな
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月13日 21:21
ウニ氏いわく
「ウニが語り部であるうちは師匠は失踪したままだが、第四世代(音響師匠編)ではその保証はない」
「もしも現れたなら、間違いなく敵になるだろう。妄執の怪物だからな」
とのこと
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月13日 21:27
怪物に名前をつけてはいけない。きっと取り返しのつかないことになるから

と『怪物 幕のあとで』で語られてるけど、師匠に名前がないことによって、怪物になったとしてもギリ取り返しがつけばいいな、と思ってみたりする
Posted by 名無しのお弟子さん at 2026年01月13日 22:22
邪王炎殺黒龍破か月読ですか?
Posted by at 2026年01月16日 20:36
コメントを書く
お名前:

コメント: [必須入力]

PAGE TOP ▲