「一度撤退するわ! 二手に分かれて逃げる。あとで合流!」
部長が向こう側に叫んだ。
「了解!」と七緒と小熊の声が重なって聞こえた。
(しかし、逃がしてくれるのか?)
冬馬は金属バットを構えたが、すぐに横手から黒い大蛇の首が迫って来た。
「まだ出るのかよ!」
とっさにその頭部をバットで殴った。その黒い大蛇も尋常な大きさではなかった。頭部が凹み、アスファルトの上をのたうっている。
空はぼんやりと光っていて、真っ暗闇にはならなかったが、周囲は見えにくい。大通りには、得体の知れない影が無数に蠢いていた。
骸骨はこっち側に向かってきているようだ。すぐに逃げたかったが、元からいる人型や蜘蛛、土公の式神などに加えて、他の獣や怪物の姿まで見え始めている。
囲まれた。
「やばいな」
冬馬は焦りはじめた。
「あひゃあああ」
野々口が目の前の影に木刀を振っているが、半分目を閉じているので、牽制にもなっているのかあやしい。
その時、ギャギャギャッ、という凄い音がして、野々口の目の前の影を跳ね飛ばしたものがあった。
車だった。真っ赤なスポーツカー。その窓から身を乗り出した女性が叫んだ。
「どうなってんだ響花ぁ! なんとかしろよてめえ」
「あかりちゃん!」
部長が目を丸くした。車で現れたのは、丘陵研究会の幽霊部員、来島あかりだった。
「私関係ないし、と思って研究室に籠ってたら、襲われたんだが! お気に入りのマグカップが割れたんだが! おまえらの客だろうが。ふざけんなよ」
相変わらずの白衣姿で、髪の毛をバリバリと掻きむしっている。
(あかりさんがうちの部員だと知ってるとは、相当調べてるなこいつら)
冬馬はそう思っていると、部長が後方に迫る骸骨をちらりと見て、あかりに頼んだ。
「野々口くんはここでリタイア。乗せてあげてくれる?」
「いいけど、全員は乗れねえぞ。この車狭いからな」
部長はモリゲンのほうを振り向いた。
「モリゲン。あなたもよ」
見ると、滝のような汗をかいていて、膝が笑っている。
「まだ、やれるわ」
本人はそう言っていたが、冬馬も彼が限界を迎えているのはわかった。無理もなかった。武器の入ったバッグを背負ったまま、あの巨体でずっと動き回っていたのだ。相当にスタミナを消耗しているはずだった。
「時間がない。部長命令です」
「早く乗れ、野々口、モリゲン」と冬馬。
「ごめんねえ」
「でも。アタシは」
「いいから」
冬馬は、近づいてくる人型の式神を蹴り飛ばしながら、車の後部座席のドアを開けた。そして無理やり野々口とモリゲンを押し込むと、ドアを乱暴に閉める。
「出して、あかりちゃん」
「お前たちはどうすんだ響花」
「大丈夫。とりあえず、市外まで逃げていて。また連絡するわ」
「了解」
来島あかりはそう言い置いて、車を急発進させた。そして前方を塞いでいた人型の式神たちを次々にはねていく。
「ようオカマちゃんと子豚ちゃん。シートに汗つけんなよ」
スポーツカーを乱暴に運転しながら、あかりは後部座席に無遠慮な声をかけた。
「なんで、あなた、そんなに、楽し、そう、なのよ」
シートにもたれかかって、息も絶え絶えにモリゲンがそう言うと、あかりは前も見ずに、「アハッ」と笑った。
「『車編』にぃ、『楽しい』と書いて、『轢く』、だろうがよ!」
そう言って、行く手を阻むものたちを、はね飛ばしていった。
残された冬馬は、部長を見た。もう巨大な骸骨はすぐ目の前だ。
「俺たちも逃げましょう。俺がなんとかします」
しかし、部長は首を振った。
「あんまり、みんなには見せたくなかったから」
「なに言ってるんですか」
冬馬が焦りながら言うと、部長は骸骨のほうに向きなおった。
「ここで全部倒します」
冬馬は、その言葉を聞いて、ゾクリとした。部室を出る時に、黒図に聞かされた言葉が脳裏をよぎる。
「ばあん」
部長が無造作に差し出した、左手の人差し指から、なにか目に見えないものが飛び出した。一瞬にして、目前まで迫っていた巨大な骸骨が炎上した。
骸骨は真黒な煙を噴き出しながら、赤々と燃える炎に包まれ、もだえ苦しんでいる。
「ばあん、ばあん」
部長が周囲に指を向けると、次々とその方向から火の手が上がった。人型や獣型の式神が燃え始めたのだ。鬼神面に向けてやった時と同じだった。
しかし、あの巨大な恐ろしい骸骨まで燃やすとは、冬馬は自分の目を疑った。そして至近距離の敵を、金属バットでなぎ倒しながら部長に訊ねる。
「もしかして、のろいゆび、ですか」
「そうよ」
冬馬は、黒鳥嬰子から聞かされていた。音田響花の左手の五指はすべてのろいゆびだと。しかし、この力は……。
「黒図先輩の、狐火」
冬馬がそううめくと、部長は頷いた。
「でも本物にはかなわないわ」
そんなことを言いながら、周囲の敵を片っ端から燃やしていく。
「この指を、相手に視認させないと効果は発揮できない。それに、敵をまとめて燃やすなんてこともできない。けっこうチマチマした作業なのよ」
ガガガンッ、という、つんざくような音とともに、巨大な骸骨が炎のなかに崩れ落ちた。
「あれもしょせんは式神よ。ミコガミだったら危なかったけど。いくらもつれ太夫でも、千年前の、平将門の時代の怪異を取り込むなんてことはできないからね」
「だからって……」
あれほどの巨大な存在を一瞬で葬った部長に、冬馬は畏怖を覚えた。
「さあ、やっぱりこのままじゃ駄目ね」
部長は、ため息をついて左手を下げた。周囲にはまだたくさんの式神たちが蠢いている。部長を警戒しているようで、すぐには襲い掛かってはこなかったが、完全に囲まれていた。
骸骨が燃えているその炎の前で、鬼神面が赤い涙を流しながら立っている。
「逃げますか」
部長と背中合わせになりながら、冬馬が訊ねると、彼女は「いいえ」と言った。そしてハンドバッグからなにか瓶のようなものを取り出した。冬馬はそれを見たことがあった。
(嬰子さんにもらったやつだ。なんて言ってたっけ)
「冬馬くん。少し離れていてね」
部長にそう言われ、すぐに距離を取る。嫌な予感がビンビンとしていた。
部長がなにごとか唱えてから小瓶のフタを取ると、中から、プーン、という羽音とともに、なにかが飛び出てきた。
小さな虫のようだった。それは、部長が目の前にかざした右手の人差し指の上に止まった。
「黒鳥一族が受け継いできた、呪言道の秘術に、蟲毒というものがあるわ。無数の毒虫たちを壺の中に入れ、最後の一匹になるまで食い合わさせて、極めて強い毒性を持つ個体を誕生させる、という忌まわしい術ね。これはその応用」
部長は顔を近づけて、指に止まった虫を見つめた。
「小虫のなかで、普通ではない個体、狂った個体を集めるの。そしてそれら同士を配合させ、その性質を遺伝させ、濃縮する。狂気は、伝染する。狂気に支配された虫たちを狭い巣箱で飼い続けると、さらに狂気度は深化していく」
「う……」
冬馬は、目を擦った。小さな虫が、大きくなったり小さくなったりしているような、錯覚を感じたのだ。
「黒鳥一族は、何百年にもわたって、そんな虫の世代を重ね続けているの。この小さな体に、どれほどの狂気が住んでいるか想像できるかしら。その狂気は、この虫の体と、周囲の空間の境目をあいまいにして、現実を侵食していく」
冬馬の目の前で、虫が様々な色に変化しはじめた。
小さな触覚が、小刻みに動いている。その動きに合わせて、冬馬の三半規管が不協和音を鳴らしている。ぐらりと、地面が傾いたような気がして、思わずたたらを踏んだ。
「黒鳥流呪言道では、この秘術を、こう呼んでいるわ」
部長はなにか呪文を唱えると、虫は宙に飛んだ。そして彼女の口の中にするりと入り込んだ。
部長は口を大きく開けた。その赤い舌の上に、小虫が乗っていて、キシキシという不気味な音を立てていた。
「狂蟲禍(きょうちゅうか)」
部長はそう言うと、口を閉じた。
次の瞬間、彼女の身体に変化が起きた。
ボボボボボボボ……。
部長の全身から、墨のように真黒な瘴気が立ち昇った。髪の毛や、目、鼻、口、耳、胸元。あらゆる場所から、粘性のある瘴気が漏れ出てくる。
『もう少し、離れていなさい』
部長の声が、ゴボゴボと、水の中で発したもののように聞こえた。冬馬はそれを聞いて、彼女の全身から噴き出している墨のような瘴気が、水中でのシュノーケリング中に漏れる空気のように見えた。
『●●●●』
部長がなにか言ったのはわかった。しかし、もうそれは聞こえてこなかった。かわりに、部長の口から漏れ出た瘴気が、なにか文字を形作った。
(滅?)
そんな文字が見えた気がした。
部長のすぐ前方にいた人型の式神が、甲高い音ともに、はじけ飛んだ。
なにも触れていないのに、人体が四散したのだ。
『●●●●●●●●』
ボボボボボ、と瘴気が次々と文字のようなものを作る。すると、周囲の式神たちが一瞬で爆散していった。
(嘘だろ)
冬馬はさらに後ずさる。
部長はゆっくりと歩き始めた。さらに瘴気が噴き出る速度が上がった。もう顔のあたりもまともに見えない。
式神たちは恐慌を来たした。百鬼夜行とも言えるそれらが、恐れおののいているのだ。
周囲の式神は一瞬でコナゴナになっていった。さらに部長は両手の指を突き出した。
空を飛ぶコウモリ型の式神が炎上して、次々と落下してくる。
(この状態で、のろいゆびまで……!)
冬馬は、部長が、「みんなには見せたくなかったから」と言っていたことを思い出していた。
部長が歩く先で、死が暴風のように荒れ狂っていた。
さらに、冬馬は、かなり先にいる人型の式神がひゅんっ、と地面に吸い込まれるようにして消えるのを見た。見間違いではなかった。部長が右手の中指を突き出している、その先で、式神たちが消えて行くのだ。
『四つ足峠の人穴(ひとあな)、と呼ばれている霊道で作ったのろいゆびよ』
冬馬の周囲に、墨絵のような文字が浮かび、脳内で部長の声として再生された。そして、すぐにそれは空中に溶けるように消えて行く。
式神たちを霊道に落としているのだ、と冬馬は理解した。恐ろしい光景だった。それも、右手の中指で、なのだ。
「のろいゆびは、左手だけじゃなかったのかよ」
施術者のはずの黒鳥嬰子が知らなかったということは、部長はもはや独力でのろいゆびを身に付けている、ということだった。
332『第68話 もつれ太夫 死闘編 3』
posted by 巨匠
| Comment(4)
| 丘陵研究会へようこそ






来島あかりは後ろ指さされかねない