328『第64話 もつれ太夫 襲撃編 7』

 朝、冬馬は居候している野々口と一緒に家を出て、大学にやってきた。野々口は他学部なので、途中で別れ、学部棟への道を歩いていると、梅田ヒロユキが声をかけてきた。

「よう冬馬。次の講義、休講やったで」

「そうか」

「なんや妙に、人少ないやん。変な病気流行ってんちゃうやろな」

 ヒロユキは敬礼を真横にしたような手の形で、キャンパス内を見回した。

 たしかに人通りが少ない。午前中のこの時間は、学生たちで溢れているはずなのに。

「そういや、ヒロユキ。例の件だけど」

「おん?」

「俺やっぱヤメとくわ。ちょっと忙しくてな。夜も」

「おお。そうか。そらしゃあないな」

 ヒロユキは自動販売機が並ぶ喫茶スペースを指さした。

「ちょっとダベってくか」

「いいけど、その前に、なあヒロユキ」

「あん?」

 冬馬はヒロユキの横腹を殴った。腰の入ったボディーブローだった。

「うごっ」

 冬馬は、もう片方の手で、ヒロユキの肩を抱きかかえ、衝撃が逃げないようにしていた。

「おまっ……なにしよんねん」

 ヒロユキが口から泡を出しながら、ヒーヒーという空気が漏れるような音を出している。

「穴が……開いてもうたやないか……」

 ぐぽっ、と冬馬が腹にめり込んだ拳を引き抜くと、そこには大きな空洞が開いていた。

「合コンの約束を破って、そらしゃあないなんて、ヒロユキが言うわけねえだろ」

 ヒロユキの形をしたものが、身体を震わせる。パラパラと繊維がほどけるように、その形状が崩れていく。

「……へへへ。失敗しっぱい……」

 風に乗って、そのすべての繊維が飛散していった。最後に残っていた顔は、挑発するように笑っていた。

「みんな」

 冬馬は顔色を変えて、走りだした。生協の建物や、一般教養棟のそばを駆け抜ける間も、ほとんど学生の姿は見えなかった。あらためて見ると、異様な光景だ。

 サークル棟の下にたどりつくと、カップ式の自販機のところに七緒がいた。

「お。どうした冬馬。そんな血相変えて。って。おい。ちょっと」

 冬馬は、七緒の身体を掴むと、高い高いをするように、宙に持ち上げた。

「てめっ、いきなりなにすんだコラ!」

「よし。重い」

「はあ? おまえいまなんつった??」

 下ろされると、七緒は地団太を踏んで怒った。

「早く、部室に来い」

 冬馬はそう言い置いて、サークル棟の外階段を駆け上がった。

「なんですか冬馬さん」

 小熊が近づいてきて、「ムキー」と言っている七緒に話しかけたが、「ムキー」と言っていた。

 丘陵研究会の部室には、モリゲンだけがいた。珍しく男の格好をしている。ズボンに、開襟シャツ。化粧もしていなかった。

「なんだモリゲン。今日は男なのか」

「茶化さないで。スカートだと動きづらいから。合わせるために、自然とこうなったのよ」

「なにかあったのか」

「ええ。その調子だと、あなたと同じかもね」

 冬馬は息を切らしていた。

「なんだっつうんだよ冬馬ぁ。女の敵がぁ」

 七緒が怒りながら部室に入ってきた。その後に続いた小熊が、ドアの前で足を止めて、廊下のほうを怪訝な顔で見ていた。

「どしたん。小熊っち。早く入れば」

「いや、ちょっと気になる人影が……。気のせいですね」

 そう言って小熊は部屋に入り、ドアを閉めた。

「なんだ小熊。誰か見たのか」と冬馬が問いかけると、小熊は首を振った。

「いえ。知り合いに似た人がいたもので」

 冬馬は表情を硬くした。すぐに、野々口が部室に入ってきた。

「やあやあ。朝から休講でさあ。まいっちゃうよ」

 ハンカチで汗を拭く野々口を見て、冬馬は、「よし」と言った。

「あとは、部長か」

「響花ちゃんなら、もうすぐ来るって電話あったわ」

 男の格好のモリゲンがいつもの口調なのは違和感があったが、そこは直らないのだろう。

 冬馬は、うん、と言って切り出した。

「さっき、友人に化けた式神が出た」

「やっぱりね。アタシも。バーの先輩そっくりなやつが近づいてきたわ」

「えっ。なにそれ」

「敵は、俺たちのことを相当調べてる。知り合いに化けて近づいてくることを、想定しなくちゃならなくなった」

 それを聞いて、小熊はドアに走って開け放つと、首を伸ばして廊下を見た。

「いない」

「落ち着け。この部室は部長が結界を張ったって言ってたから、大丈夫だろう」

 部室には部長以外の五人がいた。また黒図の姿はない。冬馬は舌打ちをする。本当にもう出てこないつもりなのか。

 その時、携帯電話の着信音が響いた。七緒の携帯だった。

「はいはい。……って、えっ?」

 七緒が電話を右耳に当てたまま、強張った顔で仲間たちを見回した。

「なんだ。部長か?」

 冬馬が訊ねると、七緒はゆるゆると首を振った。

「嘘でしょ。どういうこと」

「どうしたんだ」

 じれったいやりとりに、冬馬が声を大きくすると、七緒はゆっくりと小熊を指さした。

「小熊っちから、電話かかってきてるんだけど」

 ざわっと、視線が小熊に集まる。当の小熊は、目を丸くして、自分を指さしている。

「ここは結界の中よ」

 短くモリゲンがそう言った。冬馬が小声で、七緒に耳打ちした。

(気づかないふりして、用件を聞け)

(りょうかい)

「えーなに、小熊っち。なにかあったん?」

 みんな近づいて聞き耳を立てている。

「え? 駅前にコロニー? なにそれ」

 冬馬は、そのやりとりを聞きながら、ふと首をかしげた。着信の表示はどうなっていたのだろう。まさか本当の小熊の番号からかかってきていたのだろうか。

「河原と、運動公園にも? ちょっと何言ってるかわかんないわよ。落ち着いて話してよ」

 電話をする七緒から目をそらし、冬馬は、自分の携帯電話を操作した。小熊のアドレスを呼び出して、通信ボタンを押す。

 1秒。2秒。3秒……。

『おかけになった電話は、通話中です。留守番電話サービスをご利用される場合は……』

 そこまで聞いた冬馬は、右足で蹴りを放った。

 ビュンッ、という音がして、小熊のいたはずの場所をその蹴りが通過した。

「なにするんですか! 冬馬さん」

 後方に転がった小熊は、しゃがんだまま抗議した。

「着信音が鳴らなかった」

「ちょっと待ちなさい冬馬ちゃん。小熊ちゃんは本物よ」

「違う。逃がすなモリゲン。野々口下がれ」

 冬馬は小熊のほうに一歩踏み出した。

「な、なに。なにしてんのよあんたら」

 電話を持ったまま七緒は目を剥く。

「着信は、小熊の携帯からだったんだな」と冬馬は早口で訊ねた。

「そうだけど」

「今、お前と電話中の小熊が本物だ」

 冬馬は身構えたかと思うと、一瞬で踏み込んで、しゃがんだままの小熊に前蹴りを見舞った。

 小熊は避けようとしたが、鋭い蹴りが頭部を掠め、髪留めがはじけ飛んだ。ポニーテールがほどけて、上げていた髪の毛が顔を覆う。

「ちょっと落ち着きなさいよ冬馬ちゃん!」

「ひゃああ」

 暴力に耐性のない野々口は、モリゲンの後ろに隠れた。

「やめてください冬馬さん。私は本物です」

「同居している祖父の名前は?」

「詩郎!」

 冬馬の質問に、間髪入れず小熊は答えた。

「同い年の弟の名前は?」

「恵太!」

 油断なく、冬馬はじりじりと近づいていく。

「俺とお前は今まで、何回キスをした?」

「なによそれ?」

 横から七緒がわめいた。

「ゼロ回です。私が冬馬さんとキスするはずないでしょう!」

 小熊は髪の毛をかき上げながら叫んだ。

「ミスしたな。1回だ。本物なら、忘れるはずがない」

 冬馬が静かにそう言うと、小熊はピタリと動きを止めた。その肩が小刻みに震えだす。

「くくく……。この子。そんなことをしていたのね。それは想定外だった」

「えええ?」

 みんなは、小熊の変貌に驚いた。一瞬、小熊の輪郭がぼやけたかと思うと、細かい繊維のようなものがその身体から剥離して、バラバラと宙に舞い始める。

「えやっ」

 冬馬が蹴りを繰り出した。パッとその繊維の煙が弾ける。

 少し離れた場所に、藤色の着物姿の女性が現れた。

「琴歌亭の時の」

 冬馬は唖然としていた。

「ふふふ」

 女性はやや幼げな顔を怪しく歪ませて笑った。

「響花ちゃんが結界張ってるはずなのに」とモリゲンが悲鳴を上げる。

「これも!」

 七緒が胸元からペンダントを取り出して突き出した。野々口も慌てて同じものを取り出した。

「七緒。お前が招いたんだ」

 冬馬は着物の女性から目を逸らさずに言った。

「はあ? なんで」

「あいつがドアの外にいた時、早く入れって言ったろ」

「え? ……言った」

「それで、結界を破る条件を満たしたんだ」

「そんなドラキュラみたいな!」

 七緒は喚いた。

「このお守りは?!」

「あら。それはあんまり近づけないでもらえるかしら」

 着物の女性は後ずさった。

「捕まえろモリゲン」

「わかったわ」

 二人がかりで飛び掛かろうとした時、女性はダッと窓の方に走った。と、思う前に、彼女の身体は変形し、空気の入れ替えのためにあけておいたわずかな隙間に、吸い込まれるように消えて行った。

「くそっ」

 冬馬が窓を開け放ったが、女性の形をしたなにかが、ヒラヒラとからかうように空中を飛んで去って行った。

「なんなのあいつ」

 七緒が気味悪そうに言った。

「部室にまで侵入されるとはな」

「怖いです」

 野々口が震えている。

「あ、電話忘れてた」

 七緒は携帯を再び耳に当てる。

「あ、ごめーん。小熊っち。ゴタゴタで。ところであんた、冬馬とキスしたってマジ?」

 電話口からわめく声が漏れてきた。

「あー、いや七緒。あれはブラフだから」

 冬馬は申し訳なさそうに言った。

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