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次の日、冬馬は代返を頼んでいる授業をさぼって、午前中から丘陵研究会に顔を出した。
「どう? 野々口くんとの生活は」
「部屋が狭いっス」
部室には部長と冬馬だけだった。黒図はいない。もう出てこないつもりなのだろうか。
「部長」
「なあに」
「前も訊いたかもですが。部長の師匠って、どんな人なんですか」
「ウニちゃん? そうね。カエルレスリングのレスラーね」
「はあ」
「よくカエルのぬいぐるみとプロレスをしていたわ。裸で。ド変態ね。私はずっと彼のセクハラにさらされていました」
部長は形の良い眉を歪めて、顔を曇らせた。
ウニだかカエルだかなんだか知らないが、許せないな。
冬馬は、もし会ったら、殴ってやろうと心に決めた。
「その部長の師匠についていた、小熊の母親の霊が、ミコガミとしてもつれ太夫に取り込まれてる、ってわけですか」
「うーん。違うわね」
「違う?」
「どう説明していいのか……。実はウニちゃんにも師匠がいたの。私の師の師、二世師というのかしら。彼についていたのよ。三柱(はしら)のミコガミが」
「まだ師匠がいるんスか。なんですかその胡散臭い関係は。それに三ハシラって。とりつかれ過ぎでしょ」
部長はかすかに笑った。
「ある意味、彼ももつれ太夫に似たところがあるわね。そういう呪いの類を自ら求め、引き受けるようなところが。とても危うい性格ね」
「どうなったんですかその人は」
「……失踪した。ということになっているわ」
「なっているって、ひっかかる言い方ですね。もしかして、死んだ、とかですか」
部長はゆるゆると首を振る。
「わからないわ。それと、冬馬くん。あなたに言っておかなくてはいけないことがあるの」
「なんですかあらたまって」
「その二世師についていた、三ハシラのミコガミだけど。……そのうちひと柱は、あなたの母親よ」
冬馬は目を見開いた。
「厳密に言うと、とりついていた、というよりも、彼の中に残った思念というか。深く記憶に刻まれた魂の欠片、みたいなものね。背後霊とか、そういうものとは違うと思う」
「俺の母親も、もつれ太夫に取り込まれてるってことですか」
「その人そのものではないはずだけどね。それに、それらしいものは、小熊ちゃんの母親だけしか確認できていない。ほかのふた柱はとりこめていないのかも」
「もうひと柱は、なんなんです?」
部長は胸に手を当てた。冬馬は、そこに、彼女が大事にしているタリスマンという魔除けがあるのを知っている。
「ラスボス」
冗談めかしているが、その口調が緊張を帯びているのがわかった。
「恐らく、もつれ太夫よりも強力な存在よ。とても取り込めるとは思えない。もし、取り込まれていたなら……」
「取り込まれていたなら?」
言葉を止めてしまった部長に、冬馬は先を促した。すると、しばらくしてようやく彼女は重い口を開いた。
「勝てないわ。私たちは」
それが、言霊となるのを恐れている。部長は、そう言いたげだった。
「あなただけが頼りなの」
冬馬は、いきなり包み込むように両手を握られた。祈りの形のようだった。
繊細な手の感触に、冬馬は唾を飲み込んだ。
部長のタリスマンの秘めた胸元が、青く光ったように見えた。
「それはそうと、あなたの武器を用意しておいたわ」
部長は、部長席の下からなにかを取り出した。銀色に光る長い棒。金属バットだ。
「なんスかこれ」
「あなたはこれを装備しなさい。ほら、これも。アイテムは持っているだけではだめなのよ。装備しないと」
頭に帽子を被せられた。冬馬はそれを脱いでじっと見る。
「阪神の帽子じゃないですか」
「街なかを金属バットだけ持ってウロウロできないでしょ。草野球の帰りに見えないかしら。グローブも欲しいところだけど、邪魔でしょう」
「バットも邪魔っす」
「まあ好きにしなさい」
「で、もつれ太夫の正体については、なにかわかったんですか」
「駄目ね。休暇中の外人は居所不明のまま。ウニちゃんを通して、朝からユキオさんに動いてもらったけど。建具職人の伊東退助は電話も通じない山奥の一軒家で暮らしてて、今いるのかわからなかったそうよ。実家ぐらしの吉良好子も、在宅の反応なし。二人暮らしのお母さんが入院中だとかで、そっちに行ってるのかも。引き続き調査中」
「ていうか、本当にその三人のなかにいるのかもわからないんでしょう。いいじゃないスか。来てるやつぶっ飛ばせば」
「バーバリアンねえ冬馬くん」
部長は、金属バットをかついだ冬馬を、目を細めて見つめていた。
それからの数日は、不思議な時間だった。
いつもと同じ道。いつもと同じ街並み。いつもと同じ空。
いつもと同じ風景のなかを歩いているはずなのに、少しずつそのどこかが変容しているような気がするのだ。そして、それがどの部分なのかがわからない。
その間、もつれ太夫の式神の襲撃はなかった。身構えて気を張っていたのに、拍子抜けだ。
「ごめんねえ。冬馬くん。僕、もうウチに帰ろうかな」
夜、冬馬のアパートのベッドで、野々口が横になっていた。その横の寝袋姿の冬馬が答えた。
「別にいいよ。部長は、必ずテキは来るってよ」
ベッドと寝袋は交互に使うことになっていた。
「そういえば、モリゲンさんが一匹倒したって言ってたよ。そのくらいじゃないかな」
「……」
二人とも、暗い天井を見上げてため息をついた。
「ボク、丘陵研究会に入れてもらってさあ」
「ああ」
「こうして友だちもできて、良かったと思ってるんだ。でも、みんなと比べて役に立ってる、って実感がなくてさ」
「そんなことねえだろ」
「あるよ。例えば、この天井の上って、屋根じゃない?」
「そうだよ」
「僕は今、その屋根の上になにか変な人影がうごめいているのを見てるんだ」
「そうなのか」
「僕の力は、透視能力なんていうのもおこがましいよ。そういうものがあるんじゃないのか?って思って浮かぶ想像と、見分けがつかないんだから」
冬馬は寝袋が抜け出そうとした。
「いいよ。見に行かなくて。何度も確かめたけど、なにもいなかった。怖くて想像しちゃってるから、見えてるだけなんだ」
「想像か」
冬馬は寝袋に入り直し、つぶやいた。
「それってさ。よけいなことが浮かばないほど、見ようと集中していたら、どうなんだ」
「そう簡単じゃないよ」
野々口は小さく笑った。
「今やってみろよ。思いっきり集中して、天井越しに屋根の上を見てみろよ」
「うーん。まあやってみようか」
野々口はそれから黙った。
しばらくして、「あっ」という声。
「消えた」
「なにが」
「怪しい人影が」
「うまく行ったってことか」
「わかんないよ。心のどこかで、『そんなもの、いないんじゃないか』って想像していただけかも知れない」
「……めんどうだな」
「でしょ」
「寝るか」
「おやすみ」
冬馬は寝袋に包まって天井を見上げながら、不安定な野々口の力のことを考えていた。
◆
喫茶店『チェリー』の奥の席で、音田響花はコート姿の男と向かい合っていた。
「暑くないの?」
「暑いさ。もうそろそろ夏用の服を誂えなきゃな」
コートの男は、田村という情報屋だった。二人は旧知の仲だ。
「というわけで、依頼のブツだ」
田村は、DVDのケースを差し出した。入っているのは、市販の生DVDだ。
「VHSから焼いたものだ。画質、音質は荒いぞ」
「ありがとう。さすが仕事が早いわね」
響花は封筒を差し出して、代わりにDVDを受け取った。
「これで服が買える」
田村は封筒の中身を確認して笑った。
「田村さん。冬馬くんに会ったそうね」
二人のほかに客のいない喫茶店は静かで、店内には落ち着いたジャズが控え目な音量で流れていた。
「ああ。男前だな。あの坊やは。母親に、似ている」
「ドクターの件は、干渉しないでもらえるかしら」
「……」
田村は首をすくめた。
「俺はあんたが心配なんだよ」
「あなたが嗅ぎまわるだけで、余計な面倒ごとを呼ぶのよ」
響花は紅茶を飲み干すと、伝票を手に取った。
「仰せのままに。お姫様」
田村は芝居がかった口調で、腕を巻き込みながら頭を下げた。そして、上目遣いをしながら言った。
「だが、ドクターは隠れてるだけじゃないぞ。なにかを準備している」
響花はその忠告に返事をせず、会計を終えると黙って喫茶店を出て行った。
327『第63話 もつれ太夫 襲撃編 6』
posted by 巨匠
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予想された通りのメンツだったな
ものすごく間崎京子っぽい書かれ方だけど、雨上がりの話の時にまだ生きてた京子が田舎の話の時点で御子神になってるはずないしな。
俺の中では卵顔の隣人説が高くなったが、決め手にかけると思ってる。
オカケンも長く続けて欲しいが、過去編も早く書いて欲しいw
考えてみるとコミック版師匠シリーズ外伝『迷離都市』に出てきてウニを守った師匠、生きてるか死んでるか不明だが、あれウニのミコガミに近い存在だったのかねえ。
これどうなんだろうね?
生きている人間を霊体として取り込むことはできない、ってこの先の話で語られてるけど、強烈な思念や記憶が御子神になり得るなら、生者の御子神ってのもあり得そうだよね。
いにしえより伝わる伝統よな