324『第60話 もつれ太夫 襲撃編 3』

「その時、なんかわかんないけど、耳鳴りがして。黒スーツたちが、同時に言ったの。『丘陵研究会は、何人いる?』って。その声が、ステレオで増幅されたみたいに頭の中に直接入ってきて、ビリビリ響いて」

「ええっ。大丈夫だったの?」モリゲンが祈るように手を握りしめている。

「怖くなって、大声を出したらナースが来てくれて。すぐに男たちは退散したわ」

 小塚亮子は、ようやくホッとした顔を見せた。

「なんだか、メン・イン・ブラックみたいですね」

「ちょっと冬馬ちゃん」

 モリゲンに小突かれて、冬馬は椅子から落ちそうになった。

「いや、そうなの。私も都市伝説好きだから、メン・イン・ブラックみたいって思ったの。UFOとかの異常現象について調べてたら、警告してくる、黒いスーツの男たちよね」

 小塚亮子の目が少し輝いて見えた。

「なんだったのかしら。すぐに丘陵研究会があなたたちのことだってわかったから、こうして出向いたんだけど」

 部長は深々と頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。私たちのせいで、怖い思いをさせてしまって」

「ああ、ごめん。そういう意味じゃなかったんだけど」

 部長はハンドバッグからなにかを取り出した。

「あら、キレイ」とモリゲン。

 それは、青い水晶がついたペンダントだった。

「これは、ある霊能者の方が作った、特別な魔除けです。これを肌身離さず、身に付けていてください」

「え、いいの? そんなものもらって」

 小塚亮子はペンダントを受け取ると、まじまじと見つめた。

「私たちにも心当たりはありませんが、その男たちはもう現れない可能性が高いと思います。小塚さんは、私たちとそれほど深い関わりがないですからね。ですので、念のためですが、もしまた現れたら、すぐに私に連絡を」

「わかったわ」

 彼女は真剣な表情で頷いた。

 車椅子を格納できるタクシーに乗った小塚亮子を見送ってから、頭を上げた部長は、怖い顔をしていた。

 ほとんど表情はないが、その微妙な変化を、冬馬は感じ取れるようになっていた。

(なにが起こってるんだか)

 嫌な予感が、着実に現実になっていきそうな気しかしなかった。



 ◆



 からっぽ人間ではないが、冬馬もこのころ、自分のなかに空虚さを感じていた。

 そもそもどうして自分がこの丘陵研究会なる、怪しいサークルに入ってしまったのかを思い返すと、すべては部長の策略によるものだった。

 きっかけはそうだったとはいえ、ぼんやりと持っていたヤラハタ、つまりヤラズのハタチを避けたい、という願望と、部長の神秘的な美貌と、あの最初の夜に唇を奪われた記憶とが入り混じって、ことここに至っているのだった。

 丘陵研究会を辞めることなく、むしろ中心メンバーとしてどっぷり入り込んでいるのは、部長がいたからだ。それは確かだった。

 なのに、冬馬は部長と黒図暁の関係を知ってしまった。そしてそれが、今もある意味で続いている、というあやふな状況にあることも、冬馬の混乱に拍車をかけていた。

(辞めちまおうかな)

 そう思ったのは、久しぶりのことだった。

 普通の大学生として、バイトや合コンにうつつを抜かすのもいいかも知れない。学部の友人の梅田ヒロユキとつるんで、楽しくやるのが、本来冬馬が進むはずだった、まっとうな大学生活というやつなのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、脳裏に浮かぶのだ。

 あの部長の、黒く輝く宝石のような瞳が。吸い込まれそうな眼差しだった。その目に今も、見られている気がする。

 なぜあんたは、そんなに俺を惹きつける?

 冬馬はイライラしながらキャンパスを歩いた。

 周囲で聞こえる笑い声。講義が終わって、遊びに行く相談をしている学生たち。学食に吸い込まれていく人々。

 そのどれもが、冬馬のいる場所とは、見えない膜で遮られているような感覚。その二つは、混交しない、異なる空気でできている。

 そういえば、ヒロユキとも最近会ってないな。

 そう思ってピタリと立ち止った冬馬は久しぶりに、研究室へと足を向けた。




「ほななあ! 冬馬。合コン絶対やるからな。逃げんなよ」

 梅田ヒロユキが手を振って、去って行った。

 夕方だ。冬馬は久しぶりに会ったヒロユキと、喫茶店でダベった。彼が教えてくれた、『チェリー』という店だ。冬馬はここで、情報屋を名乗る田村という胡散臭い男と会ったばかりだったので、気のりしなかったのだが、今日は姿を見せなかったようだ。

 ヒロユキは、「お前が来る言うだけで女子の食いつきがちゃうから。頼むわ。いっぺんいこ。合コン。な?」としつこく冬馬を説得し、なんとか承知させたのだった。

「合コンかあ」

 ヒロユキと別れたあとで、駅前を歩いていた冬馬は、ちょうどこのあたりで山中まひろという女性と会ったな、と思って立ち止った。

 先日彼女に逆ナンされた冬馬は、ほいほい家までついていって、ヤラハタ回避という、生まれたばかりの大目標を唐突に遂げたのだった。

 電話番号はもらったのだが、かけてみようか、という気にはならなかった。よくわからないが、結局冬馬はフラれたらしかった。

「なんだかなあ」

 声に出して、空を見上げると夕焼けが迫ってきていた。

「合コン行くかあ?」

 自分に問いかけてみると、少しは気が軽くなったような気がした。

「合コンですか?」

 ふいにそう言われて、冬馬は驚いた。

「行きたいですぅ」

 目の前にいたのは、フリフリのかわいらしい服を着た女の子だった。ついこのあいだ出会った、黒鳥蓮(はちす)という男の娘と似たような恰好の子だったが、こちらはだいぶ肉付きがいい。

「あ、いや、今のは独り言で」

 冬馬はしどろもどろに弁解した。

「アタシ、カラオケでもいいですよぉ」

 女の子はぐいぐいと近づいてくる。よく見ると、彼女はクマのぬいぐるみを握りしめていた。

「だから、間違いですって」

 冬馬が困っていると、女の子の背中にドン、とぶつかったサラリーマン風の男がいた。

「きゃ」

 女の子はよろけてたたらを踏み、冬馬はとっさに抱きとめた。

「道の真ん中でワチャワチャしてんじゃねーよ」

 サラリーマンは吐き捨てるように言って、そのまま去って行った。

 冬馬は女の子を胸に抱きかかえたまま、ドキドキしていた。その鼓動が相手も伝わっているのかも知れないと思うと、不安な気持ちだった。

「あは」

 女の子は顔を上げた。派手なメイクの下に、純朴そうな顔立ちが覗いているように見えた。

「もう気づかれちゃいました?」

 冬馬は女の子を放した。

 油断なく距離を取る。

 軽かった。

 本当にいた。

 人間そっくりだけど。

 人間じゃない。

 からっぽ人間。

「ちょっと。女の子が誘ってるんだから、恥をかかせちゃだめよ」

 横から、いきなり年配の女性が顔を突き出した。買い物袋を提げている。冬馬の目は、ビニール越しにその中身が、使い古しの鉛筆数本だけなのを見て取った。

 普通じゃない。なんだこいつら。人間の真似をしているけど、違うなにか。

「行こう。イコウ。合コン、イコウ」

 頭のてっぺんが禿げたおじさんが、妙なイントネーションでそう言いながら近づいてきた。

 霊感は、働かない。

 冬馬は焦っていた。

 周囲を見回すと、夕暮れの駅前の通りは帰宅する人々、遊びに繰り出す人々でいっぱいだ。

「近づくな」

 冬馬はそう言うと、彼女たちを置いて歩き去った。

 そのまま速足で駅前を離れる。

 なんだあれは? なんだあれは?

 大学に入ってからというもの、おかしなことばかり起こるが、なんだかタガが外れてきたような気がする。

 からっぽ人間だなんて。そんな冗談みたいな都市伝説を聞かされたとたんに、遭遇するとは、出来過ぎているじゃないか。

 足音が重なって聞こえる。

 首筋のあたりが、ざわざわする。

 速足のまますれ違った人が、その一瞬で言った。

「連れて行ってよ」

 ギクッとした。そのまま振りむいて、向かってくる気配。

 ザザザザザ。

 足音がはっきりと聞こえる。

 歩きながら、そっと後ろを見ると、10人以上の人間が、冬馬のスピードについて迫って来ていた。

「嘘だろ!」

 そう叫んだ時、すぐ横にいた信号待ちの小学生が、こちらを見もせずに、「嘘じゃないよ」と言った。

 冬馬は走った。

 走りながら携帯電話を取り出す。すぐに繋がった。

「七緒。根暗メガネ、いるか」

「はあ? 冬馬あんたなに失礼なこと言ってんのよ」

「強火用意してって言っといて」

 すぐに電話を切る。

 冬馬を追う足音はますます増えている。その一団を、ギョッとした顔で見送る人々の顔が、一瞬で過ぎ去っていく。

 冬馬は並木道を駆け抜け、大学への直線道路に入った。図書館の大時計が夕日に照らされているのが遠くに見える。

 校門をくぐってから、右へ曲がり、一般教育棟の群れを縫って、グラウンドのそばを駆け抜け、サークル棟へたどり着く。走ってくる勢いに驚いて、道を開ける学生たち。

 外階段回りを視界の端にとらえる。よかった。誰もいない。

 そのまま外階段に向かって突っ走って、駆け上がり、3階のフロアに。上がってすぐのドアが、丘陵研究会の部室。ドアの周りには誰もいない。

 冬馬はノックする余裕もなく、ドアを開け放つ。

「黒図さん!」

 そう叫んで、冬馬は伏せた。

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