323『第59話 もつれ太夫 襲撃編 2』

 ◆



「仮面の女性……」

 三島教授と別れ、部室に帰ってから、詳しく説明を受けた部長は専用の椅子に腰かけて、思案気な顔をした。

「アタシも見たわ」

「拙者も」

「でもあれ幽霊じゃなくない?」

 七緒がそう言うと、みんな自信なさそうに首を傾げている。

「少し笑ってるような、白い顔の女性の面でした」

 小熊が付け加えると、部長は「それはたぶん」と言った。

「能面の、小面(こおもて)ね。女性の若さ、かわいらしさを表す面で、能の役どころとしては良い役よ」

 その女性を見ていないのは部長だけだ。冬馬は、その面の下の顔が、妹の秋奈に似ている気がする、という言葉を飲み込んだ。写真で見比べなどしたら、似ていないはずだからだ。余計な混乱を招きたくないので黙っていた。

 部長はしばらく考えてから、「わかったわ。特に害もなかったようだし、今日のところはお疲れ様。冬馬くん。ズボンを洗いなさいよ」

「私、洗いましょうか」と小熊が申し出てくれたが、「洗濯機くらいあるよ」と言って断った。



 それから数日はなにごともなく過ぎた。

 と、言いたいところだったが、ひょんなことから冬馬が念願のヤラハタを回避したことがなぜかバレて、七緒の厳しい追及を受けたりもしたし、小熊が口をきいてくれなくなったりもした。

「おじいちゃんに、潰されてたら良かったのに」

 ぽつりとそう言って顔を伏せたので、冬馬はひゅん、となった。

 部長の顔も見るのが怖かったが、なにを考えているのかわからない表情で、「おやんなさい。好きなだけ。だれとでも」と言った。

 あとで知ったが、『めぞん一刻』という漫画に出てくる音無響子というキャラクターのセリフだったらしい。部長の本名は、音田響花。音無響子と似ている。

 それを踏まえての言葉だったようだが、いかんせん古い漫画なので冬馬は知らなかった。おかげで、部長のその言葉に、言い知れぬ恐怖を抱いたりもしたのであった。

 そんな騒動の中でも、そのヤラハタ回避のきっかけになったともいえる人物、黒図先輩はいつもの窓際の椅子で文庫本を読んでいた。

(この人、なんでまだ普通にいるんだよ)

 冬馬は先日の黒鳥の里での一件で、彼の名前の書かれたヒトガタが釘で打たれた場面を思い浮かべていた。あれで消滅する流れじゃないの? とも思ったが、現にこうしてここにいるので、よくわからない。黒図先輩に丑の刻参りもどきが効かなかったのは、確かだった。

 そんなこんなで、わりと、なにごともなく過ぎた丘陵研究会の日常であったが、実のところ、不穏な足音は刻一刻と近づいてきつつあったのだ。



 ◆



『からっぽ人間』

 という都市伝説が、急に現れたのはこの頃だった。夢もなく、なにかを成す気力もない人間への悪口のような言葉だが、この場合の『からっぽ』は物理的な状態のことだ。

 文字通り、中身がない人間が街なかをうろついている、というのだ。ガワだけ、ともいえるだろう。

「あたしが聞いたのはわぁ。友だちの友だちの実話なんだけどね」

 と言い出したのは七緒。フレンド・オブ・フレンドの時点で『実話』をつけていいのか十分に怪しい。

「ナンパされたんだって。知らない男に。あの駅前のウニ噴水のところよ。カオがよかったから、ちょっといいかな、ってついて行って、喫茶店に入ったんだって。なんか中身のない話をしてから、じゃあ次はどこに行こうか、って立ち上がったら、その男がちょっとよろけたの。あ、と思ってとっさに支えてあげようとしたら……」

「あげようとしたら?」

 モリゲンがごくりと唾を飲んで前のめりになっている。そのすぐ横で、モリゲンの工業用のプレス機のような力で腕を掴まれている野々口が、なにかを察して必死にもがいていた。

「軽かったの! 中身の肉がないみたいに。支えようした手が当たって、むしろ逆側に吹っ飛んだのよ。人間じゃなかったの」

「キャー! やだ!」

「くぴ」

 頭部を抱きかかえられて、野々口は空気の抜けるような音を立てた。

「私もその噂聞きました」と小熊。「近くの学校の男子が、知り合ったばかりの女の子を、ふざけて抱きかかえたら、まるでぬいぐるみとか、人形みたいな軽さでヒュンッって上がったんですって」

「それで、その男子はそのあとどうしたんだ?」

 冬馬が訊ねると、小熊はふいっと顔をそらし、「話しかけないでもらえますか」と言った。このところ、万事この調子なので、冬馬は困っていた。

「それで、どうしたの?」と七緒が訊くと、「驚いて逃げたって」と答えた。

「まあそうよねえ」

「アタシもお店に来るお客さんから聞いたのよぉ」とゲイバーで働いているモリゲンがクネクネする。

「どこかのバーで飲んでたら、ちょっと雰囲気の良い、年配の男性がいたの。あ、教えてくれたお客さんも男ね。それで話しかけて、そういう感じになって。お店の外に出た時に、酔いが回った勢いで抱きついたんですって。そしたら、クシャって」

「クシャ?」と七緒が眉を寄せた。「クシャってなに。こわ」

「身体が凹んだの。キャ!って言って飛びのいたら、その人は胴体が凹んだ自分の身体を見下ろして、あーあ、って言って笑ってたんですって」

「なにそれ。こっわ」

 七緒は口元を押さえている。

「からっぽ人間こっわ!」

「それにしても、急に広がりましたねこの噂」

 小熊が言うと、みんなの話をじっと聞いていた部長が、ようやく口を開いた。

「年齢も、性別もバラバラね」

「そうね。たしかに」

「オバケ的なやつにしても、同じやつじゃないってこと?」

 七緒が言うと、部長は首を振った。「それはわからないわ。元になっているのは同じものかもしれない」

「えー。なにそれ。こわ」

 その時、窓際の黒図さんが文庫本を閉じて口を開いた。

「人間のような姿形をしているというだけじゃなく、人と普通にコミュニケーションを取っているね」

 部長が頷いた。

「確かに。喋っているだけでは、普通の人間のように見えているわね」

「あ、でもこのあたりだけっぽいですぞ。その都市伝説」

 モリゲンの手からぬるりと逃げ出し、部室のPCをカチャカチャといじっていた野々口が言った。

「2ちゃんねるのオカルト板でも、そういう噂はないみたいです。でも検索すると地域板では出てくるんですよね。この地方だけに広がっている怪異かもです」

「そんなことあんの? ちゃんと調べたのかよ野口ぃ」

「野々口ですぅ。調べましたよぉ」

 七緒に小刻みに腹を小突かれている野々口を見ながら、冬馬はなにか嫌な予感のようなものを感じていた。

 そう言えば、誰かが、「嫌な予感がする」と言うと、必ず悪いことが起きるのがパターンになっている映画があった気がする。洋画だったかと思う。

 そうだ。思い出した。スターウォーズだ。

 そう独り言ちたあとで、冬馬は考えた。口にするから実際に起きてしまうのではないだろうか。言霊(ことだま)というやつだ。だから、じっと飲み込んで黙っていればいいのだ。

 そう思って冬馬が口を閉じていると、部長がふいに言った。

「嫌な予感がするわね」

 冬馬は思わず額を手で抑えた。



 ◆



 丘陵研究会に、小塚亮子(こづか りょうこ)から連絡があった。『夜空の縄』の事件の依頼人の女性だ。大学まで来る、というので、学内の喫茶スペースで面会することにした。部長と冬馬とモリゲン。彼女の病室で依頼を受けた時のメンバーだ。

「久しぶりねえ」

 部長の正面の席の小塚亮子は、車椅子姿だった。彼女は夜空の縄の被害者で両足を骨折していた。

「大丈夫なんですか。こんな遠出をして」

「まだ立つリハビリも始まってなくてね。暇でしょうがないのよ」

 小塚亮子は快活に笑った。OLをしているという、明るい性格の女性だった。

「あなたが、縄を燃やした冬馬クンね。直接お礼を言えて良かったわ。ありがとう」

「はあ」

「そうそう。あの時は素敵だったわよお。冬馬ちゃん。んー、チュッ」

「みんなもありがとう。あれからニュースはチェックしてるけど、縄は現れてないみたい。ああいうものを、退治できるものなのね。あらためて思うと、凄いわ」

 褒められて冬馬は、気まずさを隠すように頭を掻いた。あの縄の怪異は、古来よりの名を、『月引きの縄』というらしいのだが、実際のところ、全然退治できていない。それどころか、今は逃がした冬馬をロックオンしていて、隙あらば捕らえようと何度も彼の前に現れていた。実に面倒な状況だが、他に実害がないなら、ここでは黙っていることにした。

「それで。なにか変なことがあったと、電話ではお聞きしましたが」

 部長が水を向ける。小塚亮子は表情を引き締めた。

「そうなの。一昨日のことよ。黒いスーツ姿の男たちが、私の病室を訪ねてきたの」

「たち?」

「二人づれよ。それがね。なんていうか、気味が悪いんだけど、まったく同じ人間に見えたのよ。スーツも一緒だし、背格好も、髪型も。サングラスをかけててね、顔はよくわからないんだけど。双子の兄弟みたいな」

「知り合いではないんですね」

「全然。アポもないし。お見舞いの品もなにも持たずに訪ねてきてさ。いきなり、丘陵研究会について訊きたいって」

「え?」

「なにそれ。ヤダ。どうして」

「私が依頼したのは、服部調査事務所よ。知り合いから紹介してもらって。あなたたちはその下請けよね。私もあなたたちが丘陵研究会っていう大学のサークルだとは、知らなかったのよ。私、なんですか?って訊き返したの。そしたら、その黒いスーツの二人組は、交互に口を開いて、同じことを何度も訊いてくるの。その声も同じ声に聞こえたわ。だんだん気味が悪くなってきて、帰ってくださいって言ったの」

 小塚亮子は身体を震わせた。

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