繁華街にある小さなゲームセンターの前に、背の高い男が立っていた。年齢は20歳前後。長袖の青いシャツに、下は黒のダメージジーンズ。銀色に染めた前髪に、両サイドは刈り上げている。寝ぼけたような顔をしていて、目が半分しか開いていない。
店の前の道を通る女子高生たちが、彼を見てひそひそと笑いあっている。なにしろ彼は大きな図体をしながら、右手の親指を咥えているのだ。赤子のように。
やがてゲームセンターの出入り口の自動ドアが開き、中から男が二人出てきた。二人とも首のチェーンをチャラチャラ鳴らし、チンピラ風の格好をしている。一人は目尻にピアス。もう一人は唇にピアスをしていた。
二人は店の前に立っていた指咥え男を見て吹き出した。
「なにお前。赤ちゃん? 赤ちゃんなの? ボク」
目尻ピアスが笑いながら腰を屈め、見上げるようにして話しかけた。
女子高生たちは、「あーあ、絡まれてるよ」と小声で言って足早に去って行った。
「おーい。お前に言ってんだよ。お返事しろよボク」
目尻ピアスが笑いながらも語尾のトーンを少し下げた。唇ピアスが近づいてきて、指咥え男の頭を張った。殴り慣れている人間らしく、小さな動きだったが、バシン、という重い音が鳴った。
「無視してんじゃねえよ」
指咥え男は揺れた頭を戻し、凄んだ声を出す目の前の男に眠そうな目を向けた。指は咥えたままだ。
「お、なにこいつ」
目尻ピアスが体を起こし、凶悪な顔つきを見せた。
「ハルの」
銀髪の男は指を咥えたまま、モゴモゴと喋り出した。
「ああ? なんだってぇ?」
唇ピアスはもう一度頭を叩いた。
「ハルの服、破いたろ」
「ハル? だれだそりゃ」
「ツレの女を煽って、けしかけた」
「だから、だれだっつってんだろ」
さらに唇ピアスが指咥え男の頭を叩こうとした瞬間だった。
バチン、という音が宙に響いた。
「あれ?」
唇ピアスの鼻が変な方向に曲がっている。
「うおおおおおお」
横に曲がった鼻の穴から大量の血が溢れ出てきた。
うずくまった唇ピアスに、「おい、大丈夫か」ともう一人が駆け寄った。
「てめえ、なにしたんだ」
見上げた男に、指を咥えたままの男が顔を向けて、眠そうだった目を見開いた。
目尻ピアスの男はその目を見てギョッとした。まるで猫科の猛獣のような凶悪な瞳の光を見た気がしたからだ。
「おそーい。零(れい)くん」
夕暮れ時に、アーケード街の時計塔の前で人待ちをしていた石田千晴、通称ハルが手を振った。
ハルはノースリーブの黒いタンクトップに、下は赤いミニスカートという格好だった。抜群のスタイルに加え、目を引く美貌のハルに、声を掛けようか迷いながら遠巻きに見ていた男たちは気勢を削がれて散っていった。
現れたのは銀髪で長身の男だった。185センチ以上はありそうだ。
「や。やあ」
零くんと呼ばれた男は、右手の親指を咥えながら、モゴモゴと喋った。
「あれー? 零くん、血ぃついてるよ」
ハルがシャツの胸元を指さすと、零は今気づいたというように、照れくさそうに笑った。
「また喧嘩ぁ?」
ハルは呆れたように眉を上げた。
「これから本番なんでしょ」
そう続けて、零のズボンの尻を叩いた。
「こないだはごめんねえ。すっぽかしちゃって。監視厳しいのを上手ぁく抜け出してきたのに、おまわりに捕まっちゃってさあ」
「聞いたよ。大変だったね」
二人はアーケードから出て、夕暮れの繁華街を歩いていった。
「こないだは勝ったの?」
ハルが訊くと、零は指を咥えたまま頷いた。そして、ハルのノースリーブのタンクトップから伸びる二の腕をちらりと見て言った。
「タトゥー入れたんだ」
「そー」
ハルは両腕の、2本の黒い線が絡まり合うようなタトゥーを自ら抱くようにして、隣を歩く零の肩に頭をぶつけた。
「零くんとおそろい」
零の着る長袖のシャツの手首のあたりには、黒い模様がチラチラと覗いていた。
やがて二人は、裏びれた通りにさしかかった。人通りがほとんどない。もう少し歩くと、つぶれたボウリング場の廃墟が姿を現した。ハルは零に連れられて、その屋内駐車場に入っていく。
薄暗い駐車場の奥、店内入り口のあたりに、黒い服を着た男たちが数人立っていた。男たちは零を見ると頭を下げ、ドアを開けた。
ドアの先には暗くて長い廊下が続いていたが、すぐ横にある地下への階段へ足を向けた。階段は広いが暗い。
「あたし、ここ来るの久しぶりなんだー。こんなだっけ」
階段を降りた先のドアの前にも男たちが立っていて、二人を見るとすぐに開けてくれた。
ワアアアアア。
歓声が聞こえてきた。ドアの先にも狭くて薄暗い通路が続いていたが、ビリビリと響く活気を肌で感じてハルは身震いした。
「わー。これこれ」
ハルが零の腕に抱きついて歩いていくと、通路の先からスーツ姿の男が現れた。
「あ。静郎(せいろう)くーん」
「ハル。よく来たね」
ハルは静郎と呼んだ男に駆け寄って抱きついた。静郎は、目の細い男だった。オールバックの黒髪は肩にかかっている。その切れ長の目と青白い顔は人に冷酷な印象を与えたが、ハルには笑顔を向けていた。
「零くん、今日もよろしく」
静郎はハルに抱きつかれたまま、零に拳を伸ばした。右の親指を咥えたままの零は、左手を伸ばして拳をぶつけた。
「じゃあ、静郎くん。控室に行くから、ハルを頼む」
零はそう言って、通路の奥へ向かった。ハルは手を振ってそれを見送る。
三人は幼馴染だった。O市を牛耳る暴力団、立光会の会長である石田和雄の養女であるハルは元々、彼の出身母体である石田組の幹部、松浦の娘だった。そして高坂静郎(こうさか せいろう)は、O市で数少ない非立光会系の暴力団である、和倉会の現会長、高坂万章(ばんしょう)の一人息子である。松浦と高坂万章は若いころに五分の兄弟盃を交わした仲だった。その縁で、ハルと静郎は子どものころから親しく接していた。12年前に父である松浦が死に、その親分に当たる石田和雄の養子となったハルは、それ以来ずっと家族の絆に飢えていた。新たにきょうだいとなった石田和雄の子どもたちとは年も離れていたし、ギクシャクした関係だった。ハルにとっては、そんな義理の家族よりも、幼馴染である静郎のほうが、本当のきょうだいのように思えてならなかった。そしてもう一人が、静郎のいとこにあたる香取零(かとり れい)。彼は子どものころから高坂の家で暮らしていて、静郎の弟同然の仲だった。三人はよく一緒に遊んだ。
ハルがもうじき16歳。零が21歳。そして静郎が24歳。成長するにつれて、会う機会は減っていったが、ハルにとっては変わることのない三人きょうだいだったのだ。
「ハル。こっちへ」
案内された部屋からは、ガラス越しに歓声のする場所がよく見えた。廃業したボウリング場の地下は、元々スケートリンクがあったのだった。今は氷がすっかりなくなり、広々とした楕円形のフロアにコンクリートの床が広がっている。その中央に、照明に浮かび上がるリングがあった。プロレスやボクシングで見るものだ。
スケートリンクの外側の観覧席と、フロアのうち、リングをぐるりと囲んでいる鉄柵の周りには、多くの人間の姿があった。
ここは和倉会の主催する非合法な地下格闘技場だった。元々、博徒系のヤクザであった和倉会が開帳していた闘鶏などの賭場が発展したものだ。高坂万章の代になって、規模が拡大し、現在は息子である静郎が取り仕切っている。
『レディース・アン・ジェントルメン! お待たせしました。次の試合はエキシビションとなります!』
リングの中に立つ、ピエロの格好をした男がマイクを持っている。
『ノーチャージでご覧いただけますが、よろしければ、喉を湿らせながらご歓談いただければと思います!』
笑い声が起きた。そして、観覧席を回っていた、ビールサーバーを背負う女性にスポットライトが当たった。彼女は下着同然の格好でにこやかに手を振ってみせた。
中央の壁の天井付近に取り付けられた大型ビジョンに、二人の男の顔が並んで映し出された。
その周囲には『NO BET』という文字がぐるぐると回っている。
『さあ、まず青コーナーからは、初参戦、H県から来た喧嘩自慢、暴走族の特攻隊長! 湯川千春の登場だあ』
アナウンスに乗って、リングに上がったのは大きなトサカをつけた、不良然とした男だった。サラシを巻いた胴体は筋骨隆々で、髑髏と骨を組み合わせた刺青を背中に負っていた。上半身は裸で、下は特攻服。ヘッドギアやグローブなどはつけていない。普段の格好でリングに上がったようだった。
男は緊張気味で顔が紅潮している。セコンドについている、同じような格好の男たちから怒鳴るように声援を送られていた。
「げー。あいつもチハルだって。やっぱそういう名前なんだって。やだなー」
ハルがガラス越しにリングを見下ろしながら悪態をついた。隣の席には静郎が微笑みながら座っている。ここは主催者用の特別室だった。
『さあ、赤コーナーからは、キング・オブ・ブラジェオン! 撲殺王っ。三輪聡太の登場だああ』
反対サイドからリングインしたのは、眼鏡の男の子だった。上半身は裸でやけに白い。下はトランクス姿だ。観客席から笑い声が起きる。
180センチほどの湯川千春に対して、三輪聡太は165センチくらいだった。リング中央で向かい合うと、体格差が際立ち、ざわざわとした声が会場内に広がった。
身体の厚みも全然違う。小さい方は体重で20キロ以上は軽そうだった。
「これって試合になるの?」
ハルが訊ねると、静郎は笑って答えた。
「ならないかも。だからエキシビションなんだ。賭けが成立しないからね。まあ、観客は残酷なものを見たがるから」
「ふうん。ちっちゃい方はなにか格闘技やってんの?」
「三輪君は、たしかアマレスをやってたのかな」
静郎は手元の資料をパラパラとめくっていたが、やがて、「特になしだった」と言って苦笑した。
『さあ。試合開始だ。もちろん、ルールは何でもあり! KOかレフリーストップによる決着しかありません!』
ピエロが煽ると、悲鳴のような歓声が鳴り響いた。
緊張気味だった特攻隊長の男も、相手の姿を見た瞬間に、こめかみに青筋を立てていた。こんなガキが俺とやんのかよ、というようなことを言って、向かい合った状態から額をつけるようにして威嚇していた。
小さい方はガクガクと震えながら必死に目を逸らそうとしていたが、レフリーに眼鏡を外すように言われ、慌てて従った。そのレフリーは女性で、きわどいビキニ姿だった。周囲の観客からは、レフリーにも指笛で煽りが入れられていた。
ゴングが鳴った。
「わあ。はじまったあ」
ハルが身を乗り出したが、勝敗がわかれたのは一瞬だった。特攻隊長湯川千春が殴りかかるやいなや、三輪聡太が屈んでそれを避け、バランスを崩した千春に、足払いをかけて転がした。起き上がろうとした千春の腹に、聡太は膝を乗せてそれを防いだ。ニー・イン・ザ・ベリーと呼ばれる技術だ。そして下から暴れようと身をよじる動きに合わせて、聡太はするりと胸の上に乗っかった。
そこからは一方的だった。ゴツッゴツッゴツッ、という鈍い音が静まり返った会場内に響いていた。
千春が下から殴り返そうとしていたのは、最初だけだった。聡太は慣れた動きでそれをかわし、ガードが甘い場所にひたすらパウンドを打ち込んでいた。
千春の顔面は血まみれになり、やがて、「やめてくれ。俺の負けだ」と叫び始めた。
しかし、ビキニ姿のレフリーはそれを聞いても、大真面目な顔で、「ファイト!」と続行を促すだけだった。
「きゃー! やれやれぇ」
ハルが喜んで手を叩いている。
千春のセコンドがリングになだれ込もうとして、黒服に止められ、揉み合っている。それが騒がしくなるにつれ、静まり返っていた観客はやがて歓声を上げ始めた。
聡太は、たんたんと千春を殴り続ける。しかし、歯や額など、拳にダメージが大きい場所は的確に避けていた。それでも拳骨からは血が滲み、途中からは掌底に切り替えて千春の顔を叩き続けていた。
やがて千春がピクリとも動かなくなると、ようやくレフリーが聡太に飛び掛かるようにして止め、ゴングが打ち鳴らされる。
『WINNER! 我らが撲殺王、三輪ぁ〜〜聡太ぁ〜〜』
ピエロが叫んで、観客はさらに盛大な歓声を上げた。
ハルは、静郎と並んでパチパチと拍手をしている。
「観客は、ああいう勘違いくんが本物にボコボコにされるのを見たがるんだ。最近は、なかなか勇気ある新人が見つけにくくなってね。県外からスカウトしてこなきゃいけなくなった」
静郎がしかつめらしい顔をして腕を組んでいる。
「さあ。次が零くんだよ」
その言葉に、ハルはガラス窓にかきつくようにして、「やったー」と言った。
意識のない千春が担架で運び出され、血まみれのリングが清掃されると、ピエロが待ちかねたように飛び出した。
『さあ。次は本日のメインイベント! ライトヘビー級タイトルマッチです。挑戦者は、ご存じの殴り屋! 青コーナーから、キム・ハソン!』
歓声の中、大柄な男がリングに上がった。異常に隆起した胸筋には血管が浮き出ている。
『182センチ、90キロ。8勝1敗、7KO。破竹の連勝でタイトル挑戦だ!』
さっきと違い、大型ビジョンにはプロフィールが映し出されている。
『そして赤コーナー!』
照明がリングサイドに集まった。ロープを超える男に、割れるような歓声が飛んだ。
『絶対王者の登場だ! 28戦28KO! 186センチ、85キロ。我らがチャンピオン! 香取ぃぃぃぃ零ぃぃぃぃぃ!』
「きゃー。零くん!」
ハルが飛び跳ねて喜んでいる。
大型ビジョンに表示されているオッズが刻一刻と変化していく。その残り時間がゴングの瞬間を表していた。
零はキックボクサースタイルのトランクス姿だった。一見細身だが、全身が鋼のような筋肉で覆われている。絡まり合うような二本の黒いタトゥーが上腕から、手首にかけて伸びていて、胸と背中には八咫烏を模したタトゥーが翼を広げていた。
右手の親指にだけ、入念なテーピングが巻かれている。零は、それをじっと確かめたあとで、鳴りやまない歓声に応えて両手を振った。そして、眠そうな目をしたまま、ゆっくりと首を左右に振って、ゴングの瞬間を待った。
試合後、ハルが控室にやってくると、零はタオルで顔を拭いていた。
「零くん、おつかれー。かっこよかったよ!」
「ああ。良かったよ。ハルの前で負けなくて」
「またまたぁ」
ガブガブと水を飲む零の身体には、いたるところに血がついていたが、すべて相手の返り血だった。
それにかまわず抱きつこうとしたハルを、後ろから静郎が肩を押さえて止めた。
「汚れるよ」
「あ、う。うん」
ハルは急に大人しくなって、首を傾げた。そしてその目を見開いて、身体を拭く零を見つめている。
「あれ?」
ハルは目を擦った。静郎が、「さ、後でね」と言ってハルを控室の外へといざなった。
「うん」
ハルの背中に手をやりながら、静郎は零に目くばせをした。零は頷くと、白い紙袋を手に取って、中から粉薬のようなものを取り出し、ドアに背を向けて飲み始めた。
控室のドアが閉じられる瞬間、一瞬振り返ったハルの目には不思議なものが見えた気がした。
たくさんの透明な手のようなものが、一戦を終えて息をつく幼馴染の背中から立ち昇っていたのだ。全身から溢れる汗の湯気がそう見えたのか。
ハルは薄暗い地下の通路を歩きながら、今働いたのが霊感であったような気がして、少し身体を震わせた。
319『第55話 日常24 零』
posted by 巨匠
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いずれ冬馬やモリゲンあたりと派手にやり合いそう
夏雄とタッグ組んでくれたりすると熱い
ってことはハルはあの歯抜けチンピラの妹なのか