317『第53話 日常22 不破』

 西警察署に冬馬がやってきたのは、妹が誰かと喧嘩をしていて補導された、という電話をもらったからだった。

 驚いて家から飛び出してきたのだが、自転車をこいでいると、少し冷静になってきた。

 妹と聞いて、秋奈のことと思い、焦ってしまったのだが、あいつが喧嘩なんかするだろうかと首を捻った。秋奈は生来の蒲柳の質で、性格的にも喧嘩などするタイプではない。

 そもそも、冬馬が兄で、秋奈が妹だというのは、二人の間でしか通用しない約束事のようなものだ。世間的には、秋奈のほうが姉なのだ。なにしろ、秋奈のほうが2歳も年上なのだから。

 落ち着いて、携帯電話で秋奈にかけてみると、本人が電話口に出て、「あ、お兄ちゃんひさしぶり〜」というのん気な声であいさつをした。

 じゃあ、西署に捕まっているという妹は誰なんだ?

 嫌な予感に包まれながら、冬馬が西署の玄関の前に立つと、ドアをくぐる前に、ふいに声をかけられた。

「冬馬じゃねえか。お前なにしてんだ」

 玄関わきの観葉植物の前で煙草をふかしていた男が、近づいてきた。

「不破さん」

 冬馬は知った顔を見て、少しホッとした。

 不破刑事は、冬馬の義父である小川の刑事時代の悪友だ。小川が刑事を辞め、興信所稼業になってからも二人の付き合いは続いていた。冬馬は幼いころから、不破にかわいがってもらっていた記憶がある。今は西署の捜査一課で警部補、そして強行班係の係長を務めていた。

「ああん? 妹だあ?」

「そう聞いたんですけど」

「小川の野郎また誰か養子もらったのか」

「そんなはずは」

 不破は煙草を投げ捨てて靴で踏んだ。警察署前で市民の目もあるのに、あいかわらずだ。短く刈り揃えた髪には白いものが混ざり始めていたが、いまだ意気軒高の不良刑事であるらしい。

「来な」

 不破に連れられて西署の玄関を通ると、「誰からの電話だ」と訊かれ、「生活安全課の星野って」と答える。

 不破は受付を素通りし、デスクが並ぶ場所に声をかける。

「おい。星野はどこだ」

「あ、第二です」

 若い警察官が立ち上がって答え、それに手を振って不破はずかずかとフロアの奥へ足を運んだ。

 薄暗い廊下を通って、取調室らしい部屋の前の立つと、「いつまで黙ってんだよ」という怒鳴り声と、机を叩く音が室内から聞こえてきた。

 不破はノックもせずにドアを開け、中に入った。冬馬もそれに続く。

「あ、不破係長」

 室内にいた若い男性警察官が飛び跳ねるようにして立ち上がった。もうひとり立ち合いの若い女性警察官もいたが、同じく直立不動の体勢を取った。

 殺風景な取調室の中には、机が一つとパイプ椅子が二つ。そのうちの一つに、ブーたれた顔の女の子がふんぞり返って座っていた。その子が冬馬を見て、飛び起きる。

「あー。お兄ちゃん!」

 その明るい声に、冬馬は眩暈がした。そんな予感がしていたのだ。

 石田千晴。通称ハル。15歳。

 冬馬の妹を名乗って現れた少女だった。実際には妹でもなんでもない。彼女の実の父が昔、冬馬の実の母に入れ込んでいた、という情報をもとに彼女がそう思い込んでいる、というだけだった。

「来てくれたんだー」

 いきなり飛びついてきたハルを、冬馬はとっさに右手を伸ばして、頭部を掴んで押し返す。

「あぎぎ。痛いお兄ちゃん」

「なんだ冬馬、本当に知り合いか」

「まあその」

 ハルはツインテールの赤髪に、白のパーカー。下は緑のカーゴパンツという格好だった。よく見ると、パーカーには血のようなものがついている。

「おい星野。この子なにやったんだ」

「はっ。それが」

 不破を前にして緊張気味の生活安全課少年担当星野は、事情を説明した。

 どうやらハルが、繁華街で友人との待ち合わせで一人でいたところに、男女四人のグループが絡んできたらしい。

 そのうちにハルはグループの二人の女とつかみ合いの喧嘩になり、周りの人間の通報によってかけつけた警官に捕まったのだそうだ。

 二人の男は、ハルと連れの女の喧嘩を面白がって、そばで煽っていたらしいが、警官がやってくると女二人を連れて逃げたとのことだった。

「だからあ。相手ももういないんだから、いいじゃん」

「怪我をさせたんだろうが。その血ぃ」と星野。

「だから向こうが先に手えだしたんだから、正当防衛でしょって。こっちだって、これ見てよ。買ったばっかの服ぅ。こんな伸びちゃって。こっちが被害者だっつーの」

「お前。二人がかりの相手に、勝ったのか」

 不破が面白そうにハルに問いかける。ハルはピースサインをして「余裕」と答えた。

「あの、係長」

「妹じゃねえってよ。このニイちゃん、俺も知ってるやつなんだ。こいつに妹はいねえ」

「えっ。そうなのですか」

「この子の身元は?」

「石田千晴、15歳。高校は行ってないと。父親は石田和雄とのことですが、連絡先を言わんのですよ。身元引受人は兄だと言うものですから」

「石田和雄だぁ?」

 不破の顔つきが険悪になった。

「おい星野。それ聞いてなんも思わんのか貴様」

「は? それは」

 困惑気味の星野の胸元を、不破は指で乱暴についた。

「痛っ」

「立光会の会長の名前じゃねえかよ。なんでピンとこねえんだマヌケ」

 不破はそう言ってから、冬馬の顔を見た。冬馬は仕方ない、という表情で頷いた。

 不破は自分のこめかみを指でトントンと叩いて記憶を呼び起こす仕草をしてから、ハルに問いかけた。

「ということは、お前さん。松浦の娘か」

 ハルは目を見開いた。

「えー。おじさん知ってんだ。死んだ恵介父さんのこと」

「まあな。おい星野。お前、なんも知らんまま立光会の六代目に、おたくの娘さんが、ってクソマヌケな電話するところだったんだぞボケェ。……まあいい。俺が預かるわ。行っていいぞ」

「は。すみません」

 星野は胸をさすりながら女性警官とともに取調室を出て行った。



 結局ハルは、不破が連絡するなり飛んできた黒塗りの車に押し込められて、帰ることになった。

「やだー。お兄ちゃんと帰るぅ」

「お嬢。後生ですから」

 前回ハルを警護していた小柄なヤクザが、憔悴した顔をして、わめくハルをなだめていた。今回は目を離した隙の出来事だったのだろう。

「助けてお兄ちゃん。うわああん」

 そんな騒動がようやく落ち着き、冬馬は不破と一緒に警察署の裏手にある喫煙スペースでたたずんでいた。

「にしても、大きくなったなあ冬馬。おれよりデケエじゃねえか。夏雄よりもデカいか?」

 不破におごってもらったコーヒーを飲みながら、冬馬は首を振った。

「親父のほうが3センチくらい高いっす」

「そうかあ」

 不破は晴れ渡った空に煙を吐いた。

「あの千晴っての。自分を加奈子の娘だと思い込んでんのか」

「そうみたいです」

「確かに松浦は妙に加奈子に入れ込んでたな。あれはじゅう……何年前だ? 本当に妹って可能性はないのか」

「ない。らしいですけど」

「そうかあ」

 ベンチに腰かけて空を見上げる不破を、横目で見ながら、冬馬は昔のことを思い出していた。

 周りの大人たちは、冬馬が不破に懐いているのだと思っていたようだが、冬馬にとっては逆だった。不破が冬馬をなにくれと構い、かわいがっていたのだ。あの強面の不良刑事が、と周りは微笑ましく見ていたのだが、冬馬には幼心に少し複雑な気持ちだった。

 不破は、冬馬の母親のことが好きだったのだ。年が離れているので、生臭い話ではないが、確かにそうだったのだ。子どもの冬馬にはそれがわかった。

 母が死んでから、冬馬への不破の態度はさらに熱を帯びたような気がした。忘れ形見への思いが詰まっているような、そんな接し方だった。

「似てきたな」

「え?」

 冬馬は振り向いた。最近、よくその言葉を聞かされる気がする。不破は立ち上がりながら言った。

「お前も、騒がしい大学生活を送るんだろうな、ってよ。周りに、騒動をさんざ振りまいて」

 不破は口角を上げて、ため息をつき、首を振った。

「ま、なんかあれば俺に言いな。あの頃よりは、できることが増えた」

 そうして、冬馬の胸を手の甲で叩いた。それが強くて、冬馬は少しむせた。

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