嬰子の部屋で、冬馬は向かいの座布団に座っていた。蓮は嬰子が部屋に戻させたので二人きりだ。
冬馬は最初にそれと遭遇した時のことを話した。浴衣姿の嬰子は、日本酒の御猪口を片手に、面白そうに聞いていた。
「なんとのう。あんな古い怪異、わしも見るのは初めてじゃ。逃がした獲物に執着しておるようじゃな。弱みを見て、襲ってきおった」
嬰子はあぐらをかいてゆらゆらと揺れている。白い頬に朱がさして、ふふふ、という吐息がやけに色っぽい。
「呪いなら、なんとか解けませんか」
「それは無理じゃな」
あっさりそう言われ、冬馬は固まった。
「そうじゃな。例えるなら、多重債務でブラックリストに載ったようなもんじゃ。本人の身体をこねくり回しても無駄じゃ。リストを持っている側に削除させんとな。お主、月まで行ってみるか?」
冬馬は自分の身体をまじまじと眺めて、ため息をついた。
「最近、古い怪異や霊道がやけに騒いでおる。それと同じかも知れんな」
しばしの無言。
それから嬰子は、「これは独り言じゃ」と言って続けた。
「わしの持論じゃが、霊道は龍脈と関係しておる」
「龍脈って、あの?」
「独り言じゃと言うに。古来より、歴史ある神社やさらに古い祭祀の場は、龍脈に沿って建てられていることが多い。霊的なスポットじゃ。それらを直線で結んだものを、レイラインなどと呼ぶことがある。そしてそれは、地下の断層帯と重なることが多い」
「断層帯……活断層。地震?」
「それを、古代の人間は地下に眠る龍の横たわる姿と幻視した。それが起きて暴れ出すのを防ぐために、祭祀の場は龍脈の上に作られてきた。古代のシャーマン、巫女たちは知っておったのじゃな。大地が揺れる原因が生まれる場所を。そして、わしの経験上、霊道はその龍脈と重なることが多い。これも、人の霊のなんらかの性質によるものなのか」
大地の底を這うように伸びる龍脈に沿って、地上を歩く、霊の群れ。それを想像して、冬馬は初めて感じるような得体の知れない恐怖心を覚えた。
「かつての古墳時代。我らがご先祖様、黒道氏(クロツミチウジ)の一族は、今のO市の一部にまで勢力を持っておったそうだ。そして、巨大な神殿を作ったと伝えられておる。これは、郷土史家も知らぬ。口伝に近いものじゃ。失われた古き出雲大社にも迫る大きさの神殿だったという。やがて、黒道氏は、別の豪族に追われてその地を去り、神殿も破壊されたそうだ。その神殿のあった場所は比定されておらぬ。実際にそんな巨大な建物の遺構は発見されておらん。ではただの作り話なのか」
嬰子はゆっくりと首を振った。
「なぜそんな口伝が現代まで残っておるのか。なにか重要な意味がある気がしてならん。……O市を含む、県南エリアには活断層がないことはよく知られておる。巨大な地震に見舞われたという歴史もない。だがわしは思う。古代より、鬼道や祭祀を中心に、祭政一致の統治を行っていた黒道氏が作ったという巨大な神殿。それは、龍脈の上に建てられていたのではないか? 黒道一族をよく知る身としては、そう考えるのが自然だ。その龍脈とはなんだ?」
嬰子は、その独り言を冬馬の顔を見ながらつぶやいた。冬馬は、それに応える。
「知られていない、未知の、活断層……」
ゾクゾクと、全身に鳥肌が立つのを感じた。
「活断層とは、数十万年にもわたって活動していないものも含まれる。だがそれは、活動しないことと同義ではない。断層のずれが地表にまで到達していない場合、震源断層の発見は困難じゃ」
嬰子は広げた右手で地表を、御猪口を摘まんだ左手で震源を表し、続ける。
「霊道は、目に見えぬ龍脈に沿って伸びておる。で、あるならば、その霊道を追えばおのずと龍脈を辿り、失われた神殿へもたどり着けるのではないか? それは、いつか目覚めの時を待っている、未知の活断層を示す目印でもある。そう考えた者があっても、おかしくはない」
「それが、目薬をばらまいて、霊道を活性化させているやつの目的だと? そこに到達して、いったいなにを」
嫌な感じだ。物凄く嫌な感じがする。
嬰子は苦笑した。
「想像に想像を重ねた、ただの独り言じゃ。わしは関わらん。金にならん仕事はせん」
「そんな」
「ただ失われた神殿の場所については、心当たりはないでもない」
嬰子は空になった徳利を覗き込みながら言った。
「あるいは、因果が逆であるやも知れぬぞ」
「どういうことですか」
「くぜのみやは、内府が。おっと。いかんのう。しゃべりすぎた。酒がのうなった。もう寝るぞ。明日は市内までは送ってやる。まったく、ろくな休暇にならんかったわい」
嬰子はあくびをして、しっし、と手で払う仕草をした。冬馬はなんとか食い下がろうとした。
「ちょっと待ってください。せっかく作った指が使えないなら、別のなにか、呪文とか印とかを教えてもらえないですか」
これから確実にやってくるであろう、様々なやっかいごとに備えて、部長音田響花は冬馬をここへ遣わしたのだ。それが実感としてわかった。なにか得ないと、意味がない。
「はああん?」
嬰子はめんどくさそうな顔をして、深いため息をついた。そして右手を上げると、中指と薬指を折って、親指とくっつけた。
「キツネ」
かわいい声でそう言われると、冬馬は唖然とした。
「わかりました。もういいですよ」
しかし嬰子は、手の形を崩さずに続けた。
「本当にわかったのか。よく見ておけ」
凄みのある声色に変わった。
「こうして作ったキツネの顔は、左右対称ではない」
そう言われて、あらためて目の前のキツネを見ると、たしかに違った。
「耳が片方長い」
「そうじゃ。覚えておくがいい。宗家と関われば、いずれ出くわすかも知れん。術で作ったキツネは、耳でわかる。どちらの耳が長いかで、術者の利き腕もわかる」
えっ。今なんと?
宗家と関われば、いずれ出くわす?
冬馬は、酒に酔い着崩れた浴衣姿の嬰子を見つめた。
(黒図宗家が敵になると言っているのか?)
鎮め場にあった、黒図暁の札。いったいなにが起こっている?
嬰子は指で作ったキツネを崩し、別の形に作りかえた。
「グワシ」
「まことちゃん……」
中指と小指を折ったポーズを見て、冬馬は唖然とした。
「古……」と言いかけたところで、嬰子が、「もう部屋に帰って寝ろ。疑われると面倒じゃぞ」と怒った。
「疑うって、なんですか」
そう言いながら蹴りだされるように嬰子の部屋を出た冬馬の目の前に、浴衣姿の蓮が立っていた。
「母がいいんですか」
俯いてぼそりというその陰鬱な声に、思わず冬馬は背筋が伸びた。
「冬馬さんいつも母を見てる」
暗い顔の蓮は異様な迫力で、冬馬は、「ごめん。もう寝る」と言ってその場を逃げだした。
退散しながら冬馬は思った。グワシは、親指、人差し指、そして薬指を立ててするポーズだ。
嬰子の綺麗に立った薬指を思い返して、呟いた。
そうですか。嘘でしたか。
どこまでが本当なのかわからない、彼女の底知れなさを改めて思い返すと、眩暈がした。
翌朝、O市までシトロエン2CVで送ってもらった冬馬は、先日お祓い騒動のあったばかりの駅前で下ろしてもらった。
「これからわしらは東京じゃ。念を押すが、のろいゆびは半年使うなよ」
「はいはい」
「はいは一回じゃ」
「はい」
「まったく。もう面倒ごとを持ってくるなよ」
嬰子はサングラスをして、運転席に戻った。見送る冬馬の前で、助手席の窓が開き、朝からろくに口をきいてくれなかった蓮が、右手を振った。
「冬馬さん。お元気で!」
素敵な笑顔だった。良かった。機嫌は直ったらしい。嫌われたままわかれるのは、嫌なものだ。
「ああ。」
「またねー!」
「ああ、また」
また?
まあいいか。走り去って行くシトロエンを見ながら、冬馬はしばらく手を振り続けていた。
※聖地情報あり
『呪指(のろいゆび) 』の聖地情報を読む
《作中での扱い》
冬馬が呪指を作った殺生石

出典:Google Maps
作中では洞窟内にあり、最終的には九尾の狐のものではない、ともされた殺生石だが、岡山に実在する九尾の狐の殺生石は化生寺の境内に祀られている。
画像の石柱内に封印されてる大きな石は殺生石そのものではなく標本石であり、殺生石本体はこの標本石の下、地中5m付近に埋められている。
岡山の地と九尾の狐は非常に縁が深いことをあなたはご存知だろうか?
これは師匠シリーズの作中の話ではなく、現実の伝承の話である。(そのため、どうしても諸説ありとなってしまう点はご容赦願いたい)
西暦735年、現在の岡山県である備中国出身の吉備真備(作中では日備葦牙)が唐から帰国する際、船に乗り込んでいたのが若藻(わかも)と名乗る九尾の狐であった。
西暦1135年、藻女(みずくめ)と名乗った九尾の狐は宮廷の下女として仕え始め、その美貌と博識によりわずか数年で鳥羽上皇の側女に取り立てられ、玉藻前(たまものまえ)の名を授かった。
西暦1153年、陰陽師の安倍泰成により正体が暴かれた九尾の狐は、那須野の地にて弓で斃され殺生石へと変じる。
西暦1385年、230年にも渡って呪いの猛威を撒き散らしていた那須野の殺生石は、玄翁和尚という僧の法力と大鉄槌により割り砕かれ、呪いの力は弱まった。
この時、玄翁和尚によって砕かれた殺生石の破片は、全国各地へと飛散する。
その殺生石の破片のひとつが、奇しくも九尾の狐を日本へ連れてきた吉備真備の故郷である岡山県(当時の美作国高田)に飛来したのである。
化生寺は、飛来した殺生石の破片を鎮め、九尾の狐の魂の成仏を願うために創建されたものであるが、この化生寺を開山した人物、つまり初代の住職は玄翁和尚その人であった。
650年に及ぶ日本での九尾の狐の足跡は、岡山との縁から始まり、岡山との縁へと帰るという数奇な円環を描いていたのである。
ちなみに、化生寺の鎮守社として玉雲大権現(たまもりだいごんげん)、その他に藻集女大明神(もじめだいみょうじん)という社が同じ敷地内に建てられている。
何が祀られているのかは名前が強く物語っている、と言えよう。
藻集女大明神の社にはたくさんの白狐の眷属像が奉納されている

出典:Google Maps
余談その一、金槌の一種に玄翁(げんのう)と呼ばれるものがあるが、これは玄翁和尚が大鉄槌を持って殺生石を打ち割ったエピソードが由来とされている。
余談その二、殺生石が飛来したとされる地は、美作国高田(現・岡山県)の他に越後国高田(現・新潟県)、安芸国高田(現・広島県)、豊後国高田(現・大分県)、会津高田(現・福島県)などがあり、飛来先に当時の高田という地名が数多く出てくるものの、その理由は不明である。
なぜ、殺生石は全国各地の高田という地名の場所へと飛来したのだろうか?
余談その三、玉藻前(殺生石)を祀る神社としてWikipediaにこれらの神社が挙げられているが、
1.栃木県大田原市の玉藻稲荷神社
2.那須町の那須温泉神社の境内にある九尾稲荷神社
3.喰初寺境内の九尾稲荷神社
4.那須烏山市の解石神社
5.那須塩原市の椿稲荷神社
6.福島県白河市の常在院の中の法石稲荷社
7.大沼郡の伊佐須美神社の境内の殺生石稲荷神社
8.岡山県真庭市の化生寺の鎮守社の玉雲宮(玉雲大権現)
9.宮崎県宮崎市の内山神社
尻尾の数と同数であった。
本来の聖地情報からはかなり逸脱した内容となったが、師匠シリーズファンの方であれば必ずや楽しんで頂けると信じてこのまま投稿する。
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「あの、親友だったんです、師匠とは「ええいうるさい、金にならん話など聞きとうないわい、失せろこの小僧めが」
という状況が浮かんでくる。
2004年時点で音響と見た目の若さが大差ないのに、それより数年若い嬰子さんがババアに見えるか?という問題があるからアレだが。
京介とかウニにもさりげなくキツネ呼ばわりされてるし
昔コミックス版読んでた時はキャラ造形上の小ネタだと思って気にも留めなかったけど、ここまでキツネが重要キーワードになってくるともう師匠が黒図家と無関係とは思えん
いや、失踪の書籍版からはババアの文字は消されてて、単に凄く感じの悪い人となっている
ということはもしかして、、、
師匠については
・キツネと関連付けられることが多い
・一族の決まりで古式居合いを叩きこまれている
・黒い服を好む
あたりで「黒図家の縁者だったのでは?」説が囁かれてる
リックから渡された月の鉱物がただの鉱物ではなさそうなので、あながち冗談では済まなくなるかもしれないね